ノイズは、ある意味で自分自身でもある チャン・ルオン TRAN Luong

真に実験的なアートで、真に現代的な光景

私はこれまで様々な形態で、アートに関する実験的ワークショップのようなものを開催してきました。また、一般の人々を対象として、彼らに自分とは何者かを表現し、自らの人生を送るための機会を与え、またその表現方法がもっと豊かにある事を示唆するための実験的ワークショップを行ってきました。ですので、今回ハノイ・コレクティブ・オーケストラというグローバルなプロジェクトの一環で、そのメンバーたちを我が家にお招きするという試みにワクワクしています。少なくとも我が家から国際交流基金の事務所まではそれほど遠くありませんから、メンバーにとって移動しやすく非常に便利な場所にありますし、ベトナム出身のメンバーと日本出身のメンバー、さらにタイ出身のメンバーが皆、ある家族のベトナム的日常の中に入り込んでそれを音に取り入れることができていると思います。この家にある物には、台所の調理道具から家具に至るまですべて、ここに住む人の暮らしの円環運動が刻み込まれていると思っていますから、メンバーの皆さんが家にある物に興味を持ち、それらを使って作り出すノイズや音を聴けるのは楽しいことです。なぜなら、それらの物は私が常日頃使っている物ですから、そこから出るノイズは、ある意味で自分自身でもあると言えると思います。メンバーの皆さんがノイズを奏でると、まるでそれが自分から生まれたかのように感じられるのです。だから、それらのノイズは面白くて、とても暖かくとても身近に感じて、なんと言えばよいか、真に実験的なアートで、真に現代的な光景だと思います。その音やノイズは、まるで私自身と参加者やゲスト・パートナーとの関係を示しているかのようです。




ハノイ特有の音や色調

このプロジェクトの中で私が重要だと思うのは、音だけでなく、ハノイの色調も非常に複雑であるということです。それはこの数十年で変化してきました。1954年以前のハノイにはハノイ特有の音や色調がありました。ご存じのとおり、それらの色は非常に伝統に忠実で、当時の幸せな生活を忠実に表しています。そしてその後の1960年から1990年代前半までの数十年間は、アメリカとの戦争や、北ベトナムが孤立し通商が途絶えていた時代、言わば北ベトナムの鎖国時代でした。この時代の色調は非常に単調で、それは人々の衣類の色に端的に現れました。町中に広告はなく、緑の木と家があるのみ。きわめて厳しく制限された環境下で暮らす人々と家屋の色である黄色があるのみです。ゆえにその時の色調とノイズもまた時代に特有のものだと言えるでしょう。

しかし1990年代半ばを過ぎて自由市場が急成長し、音、ノイズと色調の双方が非常に、なんと言うか、狂ったように溢れ出てくるようになったのです。しかもそれらに決まった方向性はなく、実験的な性格もなく、もはや特色もありません。ノイズそのものというか、ノイズのごちゃ混ぜ状態です。人々が新しいビジネスを始めて生きるために活発に動き始めたので、街中ではクラクション、オートバイの音、声を張り上げて話す会話の音など、日常のたくさんの異なるノイズが聞こえています。この街では、オフィスの中で事務仕事をする人よりも、街頭で仕事をしている人の方が多いですから、街頭のノイズはハノイ特有だと言えるかもしれませんが、それは非常に雑多なノイズです。ゆえにハノイを代表するノイズや音は何かと訊かれても、これと決めることなどほとんど不可能です。オートバイのクラクションなどがハノイ特有のノイズだと言う人もいますし、また、市場の音も昔ながらの音で、北ベトナムやハノイに非常に特有なノイズだと言う人もいます。しかし私にとっては、その特徴を見つけ出すことは非常に難しいです。と言うのは、そういったノイズはすでに衰退期に入っているのです。ベトナムが社会主義から資本主義へ、地方での農業が中心の国から産業国へ、安っぽい新興国へと移行する途上で人々は窮地に陥っており、いまだにより質の高い教育制度やよりよい倫理感、より規則正しい状態を求めて、長い旅をしています。それゆえ、ベトナム特有の音とは、本当に大きくてドラマチックに響く音であり得るのです。そのノイズには、人々が泣き叫ぶ音や笑い声、あるいは微笑みさえも含まれるでしょう。おそらく、ベトナムの特徴というのは、発展途上国から先進国への移行の途上にある情況を反映して、いまだ形成の途中なのです。



私はこのプロジェクトに大いに期待を寄せています。当初から言っているように、音楽的バックグラウンドをもたない様々な人達が生み出す音を組み合わせていかにアンサンブルにするか、そして指揮を執るのが大友良英さんのような人達だということに対する興味だけでは、これほどワクワクしていなかったでしょう。しかし、このプロジェクトを通じて、参加者一人一人が自分の特徴や記憶、地域特有の意義を作り上げ、自分の音の特徴を表現できれば、そしてその暁に、その特徴を生かした独自のコンサートを開くことができれば、それは素晴らしいことです。プロジェクトはすでに重要な役目を果たしています。というのも、影響力が強く刺激的なこのプロジェクトを通じて、人々は、音がどれほど重要で、人間生活の重要な部分を構成しているのかに気づくことができるからです。音は言語よりも早く生まれ、話し言葉も書き言葉もない原始時代から、人間は音を用いてコミュニケーションをとり、自分を表現し、自然をコントロールしてきました。ゆえに音は非常に重要で本当に大きな力を持っており、誰でも日常的に使うことができる言語のひとつです。ですから、このプロジェクトを通じて、人々は音の力と音の有意義さをより深く理解するでしょう。そして参加者一人一人がこれからの長い人生を生きていくための真の支えともなるでしょう。さらに、当然のことながらプロジェクトの機能として、彼らは、いかにして他の参加者たちと相互に影響し合うか、グループの中でどう振る舞うか、グループとしてどう活動するかを学ぶという側面もあります。それぞれの参加者は作業グループの中で、絶対的なスターの座を与えられるわけではありません。スターになる時も、バック・シンガー役を引き受けなくてはならない時も、また裏方に回って他の人のために何かをしなくてはならない時もあります。これは、プロジェクトに参加するすべてのメンバーがここで身に付ける、非常に有益な責務です。ですので、逆にこれは非常にやりがいがあり、同時に非常に難しいプロジェクトだと言わねばなりません。私は、安易にこのプロジェクトが成功するだろうとは言いません。なぜなら私達が話しているのは、最終的に良好な結果を収めるのが非常に難しい類のプロジェクトだからです。なので、プロジェクトをもっとワクワクするものにして、今後数年間に何か起きるのかを見ていきたいと思っています。




実際、私は昨年から大友さんやディレクターの有馬恵子さんにお会いして、このプロジェクトについて話してきました。私達はすでにずいぶん話し合いをしましたし、昨年大友さんがここハノイでトークショーを行った際には、私が司会を務めました。私達は非常に、なんて言ったらよいのかな、実に強烈で率直な形でお互いに質問したり回答したりしてきました。もちろん批判的なフィードバックもしますよ。知り合って一年以上が経ちましたが、私も大友さんもこのプロジェクトが大きく動いていると感じています。昨年の初回では、参加者達は皆、素材を持ち込んで楽器の音を再現することを試みていました。それは間違ったやり方だったと思います。なぜなら彼らは楽器をすでに楽器として見ており、プラスチックで音を作り出そうとしてしまったからです。楽器の音をコピーする方法は、プロジェクトの目的が間違って認識されていることを意味しています。しかし今、メンバーが持ってくるのは生活道具ですから、だいぶ進展しました。繊細な生活音や、生活に由来するたくさんの自然で特有の音を含んでいるのが素晴らしい。日常生活の道具をそのまま音楽に使うというのは非常に現代的なアイディアだから、本当に嬉しいです。私達がなぜ楽器から離れるかというと、楽器は保守的でアカデミックな音楽の中で使われるもので、このプロジェクトで求めているものとは違うからです。ここでは裏方で働く参加者もまた音楽畑出身ではありません。ゆえに、昨年のプロジェクト開始から今日までにたくさんの改善が見られ、嬉しく思います。



このテキストは、チャン・ルオン氏の自邸で行ったワークショップの終了後に行ったインタビューを元に構成しました。

チャン・ルオン|TRAN Luong アーティスト/キュレーター
1960 年ハノイ生まれ。パフォーマンス及びヴィジュアルアーティストとして活動するほか、コンテンポラリー・アート、インディペンデントキュレーターとしてもベトナムを代表する存在。パフォーマンスやビデオを用いて実験アートに取り組む現地の第一世代のアーティストの中で、彼はローカルな体験に根差した創作活動を行う。作品は、イデオロギーが与える身体への衝撃、特に若い世代における政治的抑圧の内面を真に迫った形で反映し、個人の表現を抑圧する社会政治的残滓や政策に挑戦している。また、ハノイのアーティストの活動を促すため、ギャング・オブ・ファイブ(the Gang of Five、1983-1996)を設立し毎月オルタナティブスペースにて展覧会を開催。1998 年にはベトナムにおける初めてのアーティスト主導の実験アートのためのスペースであるニャー・ サン・スタジオ(Nha San Studio)を共同設立、最初 4 年間に開催された大多数の展覧会でキュレーターを務めた。1999年にはフォード基金の支援を受け、ハノイ現代美術センターを設立、運営。ベトナムにおけるパフォーマンスやビデオアートのための空間、イニシアティブ、ネットワーク、コミュニティの発展に貢献し、検閲や画一化などベトナム特有の文脈においては支配的基準に疑問を投げかけ、代替的ヴィジョンを支持する。さらに表現の自由、より豊かなコミュニティを創造し、若い世代を育成することに献身する。彼の動的な作品群は、個々の行動や自己反省を通して個を強化することで抑圧を批判し、人間の活力を肯定することを目指している。