ハノイ・コレクティブ・オーケストラについて語る 大友良英 Otomo Yoshihide

撮影:Dang Nguyen Tuan

2度目のハノイ

ハノイでのプロジェクトは2回目になるわけですけど、前回2015年9月は、美術家の藤浩志さんとベトナム・ハノイのアーティストグエン・バン・ガーさん(以下ガーさん)、フン・ティエン・ソンさん(以下ソンさん)、と日本語を学ぶ学生等と日本から来た学生と一緒にオーケストラを作りました。あとはアーティストでキュレーターのチャン・ルオンさんと対談をやったりしました。前回は、1週間足らずというすごい短期でがーっとやったんですけども、集中できてよかった反面、僕らの体力が本当に持たなくて。あとは、楽器を作ったところまではできたけれど、アンサンブルを試行錯誤する時間がとれなかったという反省もありました。それを踏まえて、さあ2回目どうしようかっていうのが今回だったと思います。前回アシスタントとして参加したソンさん、ガーさん、ワークショップ参加者の加納遥香さん、タイのチェンマイで「チェンマイ・コレクティブ」を一緒に企画したタイ人のアーノント・ ノンヤーオさん、ビッグ・タッチャタムさん、そして日本から参加した吉濱翔くんがファシリテーターとして、2週間強のプロジェクトのワークショップ参加者のまとめ役として参加してくれました。僕は後半から鈴木昭男さんとゲスト・アーティストとして参加しました。層が厚くなって、公募で集まったワークショップ参加メンバーの層が幅広かったので、前回とはまた全然違う感じになっていて、これは面白いぞと。

ハレの時間を作る

何よりもよかったのは、私が到着した時点で全体をまとめる人が不在で、それぞれのパートでいろんな楽器を作っていて、その自由さがいいなって思いました。同時に、これは、もしかしたら俺が全体のまとめ役なのかなとも思って。とはいえ、こういうワークショップをやっていつも感じるのは、僕がすごく強くディレクションしたら、ある方向のものができてしまうと思うんだけど、でもそれで本当にいいのかっていうことなんですよね。というのは、参加しているワークショップメンバーたちもそうですし、僕以外のファシリテーターたちもそうだけど、それぞれの意志や思いがあって様々な方向でやっているはずなので、僕はそれを活かす裏方に回りつつ、なるべく皆の意思を生かす方向にできればいいなと。僕のやりたい方向を皆に押し付けるみたいにならずに、彼らがやりたいことをサポートするっていうふうにしたいので。そこのさじ加減は、毎回すごく迷います。何しろこういうプロジェクトは、完成形があって、そこを目指すわけでは決してなくて、即興的に起こる状況のなかで、工夫しながら、最良の着地点を見つけていくことですから。

最終的には、僕がどこかで決めなきゃいけないとこもあるんですけども。本音を言っちゃうと、僕がそういうことをしなくても誰かそういうことをやる人が出てきて、自主的にそういうふうになっていけばいいなと思うんですが今回見ていると、そういうふうにはならない。細部を丁寧に見ていく感じの人たちが多かったんで、やっぱり、僕が全体をある部分はまとめていくほうがいいかなって思いました。でもそれがいいのか、悪いのかは正直言うと、いつも迷うし、本当はまとまらなくても十分に面白いんじゃないのって思う気持ちと、いや、でも参加した人たちと一緒に、あるハレの時間のような終着点を作りたいって気持ちがあるんですよ。でもハレの時間を作るにしても、わたしは自分の思い描くように皆を導くみたいなことは絶対にしたくないので、あくまでも皆が自由にやれるステージやきっかけをどう用意するかだと思ってるんです。



迷いながら一緒に考えていく

これはネガティブな意味で言っているんじゃなくて、そういう迷いをちゃんと持ってやっていかないと、こういうプロジェクトはよくないと僕は思っていて。というのは、やっぱり一番簡単なのはすごい強いリーダーがやってきて、その人が強い指示を出して皆がやる方向を示すっていうのは、本当に簡単にまとまるし、あるクオリティーのもの、正確に言うと、主催者が望んでいる結果がでやすいと思うんです。だけど、国際交流基金の、つまりはジャパンマネーを使って日本人の強いリーダーが東南アジアにやってきて、そういうことをやるのは、僕は、本当に気を付けないといけないと思っているんです。それは過去の歴史的な経緯ももちろんあります。けれども、歴史的な経緯だけじゃなくて、ある強い人がやってきてその人の色に染めていくっていうような交流への疑問が僕にはあって、そうではない方がいいと思っているんです。その場にいる人たち皆で、迷いながら一緒に考えていくような、そんな交流こそが必要なんじゃないかって。僕自身だって、何が正しいかなんて確信があるわけじゃないですから。むしろ迷いを共有するところから創作を始めたいなって思うんです。

参加した人たちの中に、私だったらこうやる、こういうやり方があるんだ、これ面白い、次はこうやるっていう芽がいっぱい出てくればいいと思ってます。それはワークショップやオーケストラに参加した一般の方たちの中から出てくるかもしれないし、しかも音楽だけに影響をもたらすもんじゃないかもしれない。例えばその場にいた建築家が影響を受けて、それを自分の仕事に生かすことだってあるかもしれないし、料理人だったら料理に生かすかもしれない。それははっきり言って目に見えないし、成果としても拾いにくいかもしれない。だけど、そういうものだって絶対あるって信じてやってるんです。

ちょっと上から目線で嫌なんですけれども、ここから何かが萌芽してくれればいいなと思ってます。若い人たちがこの先やっていく何かになっていくようにしなきゃいけないと、この年齢になって思うようになったわけです。それは、日本の中だけではなくて、せっかくこうやって国際交流基金アジアセンターからチャンスをもらったわけなので、そのもらったチャンス、もらった資金を無駄遣いしたくないっていうのが、僕の強い思いです。このようなチャンスや資金を、決して自分たちの作品を広めるために使うんじゃなくて、本当の意味での交流に使えたらいいなと、決して自己資金だけではできないような、複数の人たちの協働に使えればいいなと思うんです。



音楽家なしの音楽

音楽って本来は、言語の種類と同じようにいろいろな種類のものがあったし、今もあるんです。20世紀以降、特にラジオに始まる電波メディアや、レコードに始まる録音メディアのおかげで、それらの音楽は、本当にたくさん流通するようになり、他の地域の人たちにも知られるようになったわけだけど、一方で、そうしたメディアの発達によって、今現在僕らが聴いている音楽って、ほぼ録音された音楽だけになってしまった。それ以前は、音楽といえば、生演奏しかなかったわけで、そう考えると、わたしたちは非常に豊かにいろいろな音楽を享受できるようになったけれど、一方で、それは録音物のみになってしまっていて、実際に人が目の前で演奏するという文化が消えかけていると思うんです。そんな中で、ポップスのように皆が同じ音楽を録音物で聴くという文化とはまた別の、自分たちの比較的小さなコミュニティの中で、実際に生演奏で自分たちの今現在の音楽を作っていくという音楽のあり方の中に、僕は可能性を見ているってことなんです。それは中央のメディアの発信するものをただ受け取るのではなく、自分たちの目の前にあるものから自分たちの文化を作っていくということでもあり、それがグリット状につながっていくような文化のあり方を、僕は豊かな文化のあり方だって考えているからなんです。それは、政治的な右とか左とかとは全然関係ないなと思っていて、人間が生きていくという営みにおいて、自分たちで考えながらちゃんと未来を作っていける枠組みを考えるってことなんです。それって食事の作り方とか、家具をどうするかとか、お祭りをどう作るかとか、そんなものとも全部つながってくることだと思うんです。だれか特別な音楽家が皆に音楽を供給するのではなく、音楽も自分たちでやってもいいという発想。伝統音楽とかだけでなく、自分たちの新しいポップスがあってもいいし。有馬さんの言うところの「音楽家なしの音楽」っていう言い方はすごくいい言い方だと思うんですけれども、そういうものが必要だと、僕は強く思っているんです。



試行錯誤するってこと

そんな中で、今、このプロジェクトが動いていて、ベトナムで、なぜかタイの人までやって来て、日本の人とタイの人とベトナムの人がごっちゃになって、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら音楽を作っている。試行錯誤するってことは、決まったメソッドがないということなんで、なぜそういうものを持ってこないのかと言われそうだけど、メソッドが最初からきまっていて、それに沿ってやるのって、せっかく初めて会う人同士が音楽を作るのに、そんなことしたら一緒に考えたりする時間がなくなってしまって、もったいないと思うんです。新しいものが生まれるかもしれない可能性も削いでしまうわけだし。

例えば、こういうふうに楽器を作るとこういう音が出ます、それでこういう音楽ができますって最初から用意されているものをやるんだったら、それはさっき言ったように録音された音楽を聴くっていう今の社会の在り方とそんなに変わらないと思うんです。そうじゃなくて、いろいろとああでもない、こうでもないと試していること自体が尊いと思うんです。失敗しても全然いいというか。むしろ失敗しないなんてありえないわけで、そこから見えてくるものが大切だと思うんです。どうあれ、今回は最終的にはコンサートにするので。その最後の段階ではそうした試行錯誤も含めて、私なりの方法である形にはしていきますが、でも大切なのはある形にすることじゃなく、そこまでのプロセスだと思ってます。

コンサートは最後のシメというか、まあお祭り的なものですから「わあ、楽しい」って感じになっていいと思うんですが、でも、そこに至るまでのなんだかよく分かんないかもしれないプロセスとか、そこで生まれた人間関係のほうが、もしかしたら将来的には大きな意味を持つと思うんです。それがあった上で、それだけだとぼやっとしちゃうので、どこか節目、節目で、コンサートのような祭りも必要だと思います。その祭りがフックになって日常が、がっと動き出す・・・そんなイメージです。

だから、ワークショップの後半に登場する僕の役目は祭りを作ることなんだと思います。それをはっきり自覚したのは、昨年のハノイでのプロジェクトの経験があったからだと思います。試行錯誤の意味が、コンサートがあることで見えてきたりする。それがあることで、また普段の日常の見え方も多少なりとも変わるかもしれない。



チャン・ルオンさんの家でのワークショップ

ハノイのアーティストでありキュレーターでもあるチャン・ルオンさんの家でワークショップをやりましたが、そのときのことがとても印象的でした。ルオンさんの家にいくまでの何日間かのワークショップでは、皆楽器を自分たちの身のまわりの道具で作ることに集中していたと思うんです。で、そろそろそういう時期ではなく、どう音楽を作っていくかに意識を集中してもらおうと思って、ルオンさんの家では楽器を作ることではなくて、ルオンさんの家にあるものを使って音楽を作るっていうことに集中してもらうことにしたんです。さらに、それをやる人と見る人とはっきり分けようと思いました。

ルオンさんの家でまず小さくてもいいからコンサートをやろうと思ったんです。やる人がいて、見る人がいるっていうことで、やる側も意識が変わるし、見る側にまわることでも、ただ楽器を作って自分で音を出しているだけの状態とは意識が変わると思ったんです。音楽をやって拍手をもらってという、言って見れば小さな祭りの形のようなものにしようと思いました。楽器を作るのではなくて、ただの家の中に音楽をやる場を作る。そのうえ、どう音楽を作るかというのを、そこにすでにある素材で考えざるを得ない状況に追い込んだのが、ルオンさんの家のワークショップでした。

ある素材をどう響かせるかってことを考えたときに、部屋ごとの大きさによって変化する音の響きとか、そういうのもディレクターの有馬さんはすごく重要だって言っていて、そういう意味でも、いろいろなものがあって、いろいろな響きのする部屋や中庭のあるルオンさんの家は理想的な場所だったと思います。何より、そういう場所で鈴木昭男さんが、どういう振る舞いをし、どういう音を出していたかってのは、僕にとっても大きな勉強になりましたし、皆にとっても、いい勉強になったんじゃないかな。それと、いつもやっている場所とは違うところに行くという特別な意味ももちろんあったし、ベトナムのアートシーンではカリスマといっていいルオンさんの家という意味も、ベトナムの人には当然あるわけで、そういうことが全部込みで、祝祭的な時間になったんだと思います。そうしたことすべてが、その後のベトナム日本文化交流センターでのワークショップとコンサートに反映していたと思います。同時に、最終日のコンサートの前に、参加者の皆には、自分たちは人に音楽を聴かせなきゃいけない立場でもあり、またワークショップに来た人と一緒に音楽を作んなきゃいけない立場でもあるという自覚をして欲しかったので、そういう意味でもよかったかな。



というわけで今回みたいに、すぐに結果が出るようなものではなく、長い目でしっかりと未来を見ていくような、本当の意味での顔と顔をつきあわせた音楽を作ることでの国際交流に、国際交流基金がこうやってお金を出してくれているということはすごい英断だと思うし、本当に感謝しています。



このテキストは、ハノイ・コレクティブ・オーケストラの本番前日に、ベトナム・ハノイで行ったインタビューを元に構成し、加筆しました。