JAMJAM日記|フィリピン編 大友良英 Otomo Yoshihide

撮影:石川直樹

2014/09/03

午前中はオフ。疲れていたのでゆっくり休ませてもらう。この間も開沼さんはヴィラを経営する原田さんのインタビューを、石川さんと有馬さんは島内の写真やこの島の伝統黒魔術師の写真を撮りに。頭が下がる。

オフの時間に一人でこっそり目の前の珊瑚礁の海へ。同行のメンバーにお腹の出た水着姿なんて見られたくないもんなあ。

潮が引いている時間だと100mほど歩いても、まだひざ上程度の深さ。見た目の美しさとは裏腹に白い珊瑚は裸足で歩くには刺さるように痛いし、ウニも結構いて本当にトゲが刺さるんで、サンダルを履いて沖まで歩く。海水は限りなく透明で真っ青だったり、グリーンだったりで本当に美しい。海で泳ぐなんて何年ぶりだろう。10年前にマルセイユ沖の島でやったフェスに出て以来かな。ま、泳ぐといっても運動神経がほとんどないオレは海水でちゃぷちゃぷやるだけだけどね。
ちゃぷちゃぷちゃぷ・・・。

パンギ・エレメンタリースクール(撮影:大友良英) 子ども達(撮影:大友良英)

皆が戻って来て昼食。その間に石川さんの撮った黒魔術師の写真を見せてもらう。黒い装束に恐ろしい舞い・・・という予想というか偏見と全然違って、写真に写っているのはただのおばあさん。魔術と言うよりは伝統的な民間療法の医者と言った方が正確で、手を当てて症状を言い当て、さすったり薬草を処方したりして治療をするそうだ。施術をするところも一般の民家と変わらない。実際に見てもらった有馬さんによれば、ベッドに横になって体をさすられつつ体の悪いところを見事に当てられたそうで、魔術というよりは、東洋医学とかに近いものなのかな。実際に体の悪い場所を手でさするだけで見事に当てられたそうだ。オレも行って診てもらえばよかったかな。

原田さんによれば、もともとこの島は、周りの大きな島々に較べて侵略されやすかったので、島には恐ろしい悪魔や黒魔術師がいるということを大々的に宣伝すれば、侵略から逃れられるという事情もあったと聞く。事実、今でもフィリピンの人の中にはこの島に行きたがらない人も多いそうだ。なるほど~。ちょっと、それって恐そうな感じで人を寄せ付けないムードを出すってところは、かつてのアングラ・カルチャーに似てるかな。

午後は近くの「PANGI Elementary School(パンギ・エレメンタリースクール)」 、地元の小学校に行く。昨日の高校でもそうだったけど、ここでも原田さんは大スターで、子ども達から「HARADA! HARADA! 」の大合唱が起こる。原田さんはこの島の貧しい学校にトイレを寄贈する事業をはじめ、ここの教育に数多くの貢献をしてきて、子ども達の信頼も厚いのだ。

それにしても何百人かの小学生が授業中だってのに、ものすごい勢いで校庭に飛び出してきて、日本の小学校だったら考えられないくらいの、鼓膜がはりさけんばかりの大音量で「ダーマン! ダーマン! 」のコールをするさまは強烈。ダーマンは原田さんのこちらでの呼び名。それにしても子ども達、考えられないくらい元気がいい。これがフィリピンのスタンダードなのかな。とにかく陽気でグルービーで、声がデカい。先生も校庭に飛び出してくる子ども達を誰も制止しない。むしろ先生も率先して飛び出してきている。なんかいいなあ。この感じ。

 

これに応えるように原田さんが「ソ~ラン、ソ~ラン、あ!よっこいしょ!」と声をかけると、全員がものすごい勢いでポーズをとりながら「ソ~ラン、ソ~ラン」と歌い出す。「え? なんでソ~ランなの?」なんて考える余裕も与えてくれないくらいの勢いに言葉を失う。そのくらいすごい声と踊りなのだ。以前、日本から来て原田さんのところに泊まっていた学生が教えたのが今でも残っているのだとか。正直「よさこい」ものや「ソーラン」的なものが苦手なオレにとって、いきなり行った調査でこいつに出くわした事にかなり動揺する。それにしてもオレはなんでこういったものが苦手なのかな。

ソーラン(撮影:大友良英) ソーラン(撮影:大友良英) ペアダンス(撮影:大友良英) ペアダンス(撮影:大友良英)

その後は、ダンスがうまいという高学年の女の子と男の子が、アメリカのヒットポップス(だと思う)を流しながら、ハリウッド映画かインド映画にでも出てきそうなセクシーなペアダンスを披露。なるほど、確かに上手い。それにしてもドキドキするくらいのセクシーな腰や手の動きに「これ小学校でやってもいいのか?」という疑問が頭をよぎる。日本だったらNGというか、大問題になって先生の首が飛ぶくらいのセクシーさだ。でもここでは先生も生徒もガンガン手拍子をとって楽しそう。う~~ん、ここではこのダンス、まったくノープロブレムというか、大歓迎のようだ。所変わればだよなあ。

そのあとは高学年の教室で授業の様子を見学。ここも音楽授業があるわけではなく、実際楽器もほとんどない。それでも僕らが来た事に気をつかってくれてか、シキホール州の州歌「シキホール・ヒム」をここでも歌ってくれる。実に元気。耳がびりびりいうくらい元気にみなが全力で歌ってくれる。彼等にとって島の歌、自分たちの歌と言えば、まずはこの「シキホール・ヒム」ということなのだ。全員が本当に自由に歌ってくれるおかげで、普通の合唱のユニゾンよりはるかに豊かな響きがする。いろんな音程の子も、臆せず自分の声で歌ってくれているからだ。素晴らしいなあ、この歌声。

「パンギ・エレメンタリースクールにて」(撮影:有馬恵子)

その後は算数の授業を見せてもらった。そうかフィリピンでは算数は英語で教えてるのか・・・。フィリピンの人達が英語を臆せず話すのはこういう教育があるからなのかな。

みなでわいわいとやった後は、開沼さんがダンスをしてくれた高学年の男女とその友達を別室に呼んでインタビューをはじめる。どんな暮らしをしているのか、普段どんな音楽を聴いているのか、将来なにになりたいのか、好きなものは・・・等々。僕らの経験はまったく当てはまらないくらい、文化や育っている環境が違うんだなあということを改めて実感。日本だったら、自分の経験や今の状況から、なんとなく子ども達のことも類推できたりするけれど、これから繋がっていくであろう様々な地域の子ども達の状況は、本当に地域地域で違うんだということを肝に銘じつつ、丁寧に接していかなくちゃなあって思いつつ、開沼さんのインタビューを後ろの方で見学させてもらう。

教室にて(撮影:石川直樹)

教室にて(撮影:石川直樹)

このときに校長先生の話しも聞く。驚くべき事に、この小学校ではダンスや歌が上手いと、単位が取れるらしい。あの超セクシーダンスで単位! 素晴らしいなあ。こんくらい自由にやってくれるから、あんなにのびのびと声を出せるし、堂々と腰をスィングさせられるんだろうなあ。日本もいつまでも固い事言ってないで、こんくらいやったらいいのに、ねえ、文科省のみなさん。え? ヒップホップを授業に入れたやろって。そやった、そやった。失礼! ほならクラブで踊ったら法律違反みたいなおかしな法律、さっさと変えてくれんかなあ。学校で教えたもんを実践したら法律違反って、意味分からんもんなあ。ん、それは文科省じゃないって。あ~~ややこしい。ややこしすぎて、ようわからんわ。いかんいかん、余計なこと書いてもうた。もとい。音楽家はお国のやることに口出さんと、おとなしく音楽だけやってればよろしい。昔、どっかのえらい人がそう言ってたわい(本当か?)。

校長先生と子ども達(撮影:石川直樹)

その後は再び原田さんのヴィラに。今日は比較的ゆっくりできたんで原田さんからもいろいろ話を聞く。それまで学校の先生を、日本だけではなく世界各地でしてきた原田さんは、2004年、シキホール島に移住。ホテル「Villa Marmarine(ヴィラ・マーマリン)」を経営しながら子どもたちと遊ぶ中で学校にトイレや水道がないことに気付く。他にも音楽や理科の教材等様々なものが不足しているのを知り、子どもたちの教育環境を整えるために教え子たちとNGO「シキホールズエンジェル」を立ち上げ、様々な支援のもと、今までに45の学校にトイレを100基、水タンクを5基、幼稚園を4つ、屋外ステージを3つ作ってきているそうで、他にも、12人の奨学生をカレッジに送っているとのこと。昨日カレッジで会った何人かの子ども達がヴィラ・マーマリンで働いていて、ここから学校に通っている。夜になると街灯の下で、その子らが勉強しているのを見かけると、こんなオレでも、打たれるものがある。今回もヴィラにはかつて原田さんが神奈川県で教えていたときの生徒で、大学生になったお嬢さんが1人で遊びに来ていて、僕らの調査に同行してくれている。原田さんは70歳を超えているそうだけど、見た目はオレとほとんど変わらない。皆に信頼されているのだ。そして好かれているのだ。

NGO「シキホールズエンジェル」

代表は、シキホール島で「Villa Marmarine」を経営する原田淑人さん。小学校教師として36年間活動した経験を生かし、シキホール島の子ども達の教育環境を整えるために、元教え子たちと立ち上げたNGO。

ペアダンスを踊る大友良英(撮影:石川直樹)

お楽しみのヴィラの夕食はマンゴーソースのかかった焼き魚。美味い。めっちゃ美味いけど、オレは残念なことにマンゴーアレルギーなのでマンゴーをよけつつ食べる。これから東南アジアに頻繁に行くってのに、マンゴーアレルギーはかなり残念だよなあ。数年前に突然発症するまでは大好物だったんだけど、食べ過ぎたかな。

で、恒例のバンドタイム。今日は昨日とはまた別のLazi Comparsa(ラジ・コンパルサ)というバンド。基本ギター的な各種楽器のアンサンブルで高齢者が多いという点は一緒だけれと、昨日より多少編成は大きめで、なんと缶や車のホイールと木材を組み合わせてゴムの皮を張った完全自作のドラムセットを叩く青年がいる。通常のドラムセットよりかなりマイルドな音色、音量でギターアンサンブルの音量にはぴったりだ。チューニングが微妙にずれずれなのは昨日と一緒だけれど(もはやこのチューニングがここの伝統なのかもしれないと思った方がよさそうだ)。ただ演奏は、今日のメンバーの方が明らかに上手いというが、アンサンブルがしっかりしていて、よくグルーブする。巨大な低音ギターのバス奏者も今日の方がしっかりスイングしている。最後はここで働く従業員やカレッジの学生とともにダンスパーティになってしまった。オレも学生の女の子とペアダンスをきゃあきゃあ言いながら踊っちゃった。こんな時はいつも、「おなじ阿呆ならおどらなそんそん」って歌が頭の中を流れて、実際の音楽とハレーションを起こす。
これでチューニングがちゃんとしてればって思うのは、オレの中の音楽の勝手な基準がそう言わせているだけなのかもしれない。ここの人達は、このチューニングが気持いいのかもしれないし。

みんなで「シキホール・ヒム」を踊る(撮影:有馬恵子)

終わったあとは、楽器をいじらせてもらいながらリーダー格と思える、この中では比較的年齢の若い演奏家にいろいろ話を聞く。複弦の弦楽器なのに弦の張りがゆるゆるで、これだと確かにチューニング合いにくいよなあ。これでいいのかなあ。この中では唯一譜面が読める彼にいろいろ聞いてみるが、チューニングについてはいまいちはっきりしない。チューニングもアレンジも、耳だけでやっているとのことで、まあ実際はもっときちっとチューニングされていたのかもしれないけど、だんだん適当な感じになってきたのかもしれない。今から何十年か前は、こういう編成の音楽が島では盛んだったそうだけど、今は受け継ぐ人は本当に少なくて、自作ドラムセットの彼が数年前に入って以降は、だれも新しい人が入ってこないとのこと。ちなみにドラムセットは本来の編成ではなかったそうで、若いドラマーが入ったのは画期的なことのようだ。

それにしてもこの音楽、僕らが聴くと、あまりにも西洋的で、スペインかどこかの音楽のようで、とてもフィリピンの伝統音楽には聴こえないけど、でも、ここの人達にとっては、古い島の音楽と言えば、この音楽のことなのだ。そのことを知って、本来の伝統的な音楽はどこに・・・と、ついつい考えてしまいそうだけど、でもそういう発想がそもそも、違うような気がするなあ。

 

たとえば僕らだって駅前にコンビニと駐車場しかない風景で育ち、わずか数十年前に生まれた新民謡の盆踊りを自分達の伝統だと思い込んでいるわけで、そもそも伝統って何か、安易に言ってしまうけど、実際のところ、この言葉の中に潜んでいるステレオタイプのようなものに無自覚でいると、相手に対してとても失礼なことをしてしまいかねないと思うのだ。

オレ自身、ヨーロッパに演奏で行った際に、耳にタコができるほどされた質問「あなたの音楽は、いったい日本の伝統音楽とどう繋がっているのか?」。これを聴いたときに直感的に僕自身が感じるヨーロッパ人たちの差別的な発想。要はなぜ日本人がノイズとか即興演奏をやってるのか、あなたたちの伝統音楽とどうつながってるんだ・・・と言いたいわけだろうけど、実際のところ、僕は日本の伝統音楽を聴くような環境で育ってない。だいたい伝統音楽って何を指すんだ? いつの時代の音楽のことを言うんだ? 雅楽のこと? 長唄? 祭り囃子? それとも明治に作られた唱歌のこと? なんだかどれもオレのルーツミュージックではないような気がする。そんなもんに接して育ったわけじゃないし。

実際にはほとんど接したこともない日本の古い音楽を伝統と呼ぶのはいいけど、確かに伝統的なものではあるけど、でも現実に自分自身が何を聴いて育って来たかと言えば、主にテレビの音楽、とりわけ坂本 九やクレイジーキャッツ、ザ・ピーナッツの歌だったり、あるいは『ウルトラQ』や『ジャイアントロボ』の劇伴を聴いて育っているわけで・・・。

伝統=古くからある音楽=素晴らしい・・・みたいな発想が、自分だけじゃなく僕らの思考のどこかに潜んでいるんじゃないかな。そしてそれが、そこの文化の基調になっていて、それに影響を受けて今がある・・・そういう風に僕らは考えているし、考えたがるし、事実そういう部分もあるだろう。でもそのときに伝統として選ばれるものが、何か恣意的な価値基準、例えば芸術性に富んでいるとかといった基準で選ばれてはいないだろうか? でも実際に僕ら多くの庶民は、芸術的に優れているとか、古典的に価値があるものみたいなもんに囲まれて育つわけじゃない。オレの幼少期はといえば、『ジャイアントロボ』に夢中になってその劇伴が染み付いてたり、坂本 九に夢中になっていたわけだけど、そこには雅楽の「が」の字もなけりゃ、三味線の「しゃ」の字もない世界で育ったわけだけど、そんなもん、親を子どもが選べないのと一緒で、それが一見どんなに残念なもんであろうと、どんなに伝統と関係なさそうでも、何であろうと事実は事実、親は親なわけで、そこでなんらかの価値基準を持ち込む必要もないと思うのだ。

でも僕らは伝統という言葉を出すときに、気をつけないと、どこかにこの価値基準みたいなもんが入ってしまいがちで、ついつい、そこにロマンチックな過去からのつらなりを見ようとしてしまう。例えば大昔はあったかもしれないシキホール島のプリミティブな音楽のようなものを勝手にどこかで設定して、この島に一番古いと言われるこのギターアンサンブルの中にその影を見ようとしてしまう。で、そこにはスペインやアメリカの強い影響のようなものを見る事に、違和感というか、残念な感じを見てしまう・・・ということなんだと思う。でも、現実がそうである以上、そういう見方をしてしまうというのは、オレがかつてヨーロッパでさんざん受けて、不愉快な思いをしてきたあのステレオタイプの質問と同等の発想を自分自身もしてしまっているってことなのかもしれない。

そうそう、話しをしていくうちに分かったのだけど、なんと彼の父(もしかして祖父だったかな)が「シキホール・ヒム」の作曲者だそうだ。今日も後半、この曲の演奏が始まると、皆嬉しそうにしていて、この曲が愛されてるのが分かる感じだった。彼は、その父(祖父?)のもと、正規のヨーロッパ式の音楽教育を受けていて、だから他のメンバーと違って譜面の読み書きも出来るし、この高齢者しかいなかった楽団に入って演奏をしてる・・・ということのようだ。時間があればもっとこの辺の話しをいろいろしてみたかった。

 

深夜12時近く。夜更かしな僕らのチームを残して、皆は帰ったり部屋に戻ってしまった。

石川さんも開沼さんも有馬さんも、そしてオレも、唯一ネットの繋がる食堂に居続けて、それぞれがPCを開けて無言でパチパチ、すごい勢いでキーを打ち続けている。

開沼さんはPCのあとは難しい顔をして難しそうな本を読んでいる。ちなみに彼はここから福島の原発問題の原稿を書いたり、読売新聞の書評を送ったりもしていたそうだ。こんなハードなスケジュールの中で、そんなややこしいこともしていたとは。すごいなあ。石川さんは何かの原稿を書いてるのかな。有馬さんはツアーの様子をまとめているのだろう。

メールの返信をひととおりしたオレは、なぜか古いジャズやアメリカのポップスが無性に聴きたくなってyoutubeにログイン。デューク・エリントン、カウント・ベイシー・・・。もしかしてチューニングが微妙にずれたアンサンブルでアメリカの古い曲を聴いたせいなのか、その反動でオリジナルのアンサンブルを聴きたくなったのかな。皆に迷惑だったらやめようかと思ったけど、皆気にせず、食堂に居続けてパチパチやっているんで、なんだかDJ気分で、古い良さげな音楽を次々流し続ける。ジム・ホールとビル・エバンス、ナット・キング・コール、チャーリー・ミンガス、リー・コニッツ・・・。

遠くの空に、隣の島に落ちる雷の光が見える。でも聴こえて来るのは波の音と風の音だけ。そこにコンピュータの小さなスピーカーから流れるローファイなデューク・エリントンと、カタカタいうキーボード音がシンクロする。エリントンの音楽と奇麗な女の子がいれば、あとはなにもいらないって言ったのはボリス・ヴィアンだったけ。こんな恥ずかしいくらいかっこいいことは思わないけど、でも、そんなことを言わせたくなるくらいエリントンの音楽は素晴らしいなあ。

伝統ってなんなんだ? 頭の中をそんなことが行ったり来たり。

大友良英インタビュー(聞き手:石川直樹)

大友良英インタビュー(聞き手:開沼博)