音楽と社会|フィリピン編01 開沼 博 Kainuma Hiroshi

撮影:石川直樹

音楽の日常と非日常

フィリピンに来たのは3回目だ。

先の2回は雑誌にルポを書くための取材。1度はパラワン島にある「塀の無い刑務所」、もう1度は「日本のフィリピンパブにやってくるフィリピン人の勧誘の現場」を見に来た。その時は音楽のことなんか意識しなかったけれど、その日常には音楽があふれていた。バイクタクシーで移動する途中、まちかどで行われている祭り。マニラで入った日本人向けのパブでは生バンドが演奏をしていて、長渕 剛や宇多田ヒカルが流れていた。生バンドが無くても必ずカラオケが置いてあって、日本人客が演歌を歌っていたのも憶えている。

「フィリピンの人は歌が上手い」と同行する現地在住の日本人からよく聞かされた。音楽をテーマに掲げた今回の旅でその理由の一端がわかった気がする。

何より彼らは歌ったり踊ったりすることを恥ずかしがらないようだ。もちろん、中には恥ずかしがる人も、逆に恥じらいもなく下手な歌をうたう人もいるだろう。ただ、日本に比べたら明らかに「日常と音楽の距離」が近い。

日本なら「非日常と音楽の距離」は近いのかもしれない。

ぼくはいま、読売新聞で書評を書いている。普段は2週間に1度、書評する本を選定するための会議がある。その場で各分野の大先生方の中、おそらく「若者・地域・被災地ネタ担当」的なポジションで潜り込ませて頂いているのだが、忘年会でカラオケに行く習慣があるらしい。普段は、ただただ諸先生方の博覧強記ぶりに感心させられっぱなしなのだが、カラオケは盛り上がった。東大の物理学の先生や慶応の経済学の先生がやたらうまい。普段サポート頂いている新聞社の方々も、普段通り大先生がたに気づかいつつも普段にはないくらいに楽しんでいるように見える。

たとえばそんな日常の価値観を音楽が溶かして非日常を演出する日本の音楽のあり方が独特なものなのかもしれない。結婚式とか入学式とか何かの式典でもそうであるようにハレの場の音楽はケの場の静けさがある故に人々の感情を揺さぶる。普段と違った場での音楽の役割の大きさと使われ方。一方で普段なかなか聞こえてくることのない音楽のあり方。この日本における「非日常と音楽の距離」の一定の遠さが実は普遍的なものではないということを、フィリピンで強く感じた。

いくつかの訪問先でも、例えば日本ならば人前で伴奏もなく歌うことをためらうような場面でも、概ね、彼らは躊躇すること無く歌ってくれた。孤児院で情感豊かに歌ってくれた女子中学生。「このラブソングが好きだ」と、フィリピン語の歌詞も音程も完璧に憶えているようだった。「ラップを好きな男子がいる」というので行ってみると、ラップ調の曲をBGMに、フィリピン語の歌詞をのせて歌ってくれた。

孤児院で情感豊かに歌ってくれた女子中学生

少し貧しいように見える住宅街で行われている誕生日会では上半身裸で刺青の入った若者たちが外で料理を煮炊きしながらカラオケにこうじている。聞けば、地域ごとにある自治会「バランガイ」は大体、マイク・ディスプレイ・カラオケ機・曲目リストの入った冊子・雨や日光を避けるためのテントがひとまとまりになった「カラオケセット」を持っていて、日本人の金銭感覚でいうところの数千円くらいで貸してくれるという。誕生日会や結婚式があるとそれを家の前とか道端に置いて、交代しながら歌う。ただし、日本みたいにとりあえず「歌っている人の歌をみんなで聴いています」という姿勢を示すべき、という規範は特にないようで、盛り上がりたかったら一緒に盛り上がるし、そうでなければ歌っている人が勝手に盛り上がっていて、あとはみんなBGM扱いだともいう。それで十分楽しそうだ。

フィリピン的町内会=バランガイとは

ところで、この「バランガイ」というのが興味深い。バランガイを知らずしてフィリピン社会を知ることはできないと言ってもいいくらい。

フィリピンを移動し続けていると、大通り沿いに定期的に似たような独特の施設があるのに気づく。柵に囲まれたバスケットコートと小屋のセット。「道すがらやたら目につくこれはなんだ」と聞くと「バランガイホールだ。バスケットボールをやりに行くのに使うし、病気や怪我をした時も行く」という。

バランガイとは、フィリピン中に、100世帯程度につき1つある、日本でいう「町内会」みたいなものだ。ただし、「町内会」と違って、税の徴収権や議会も持っている。日本の都道府県や区市町村のような自治体・地方公共団体レベルの権限がバランガイにはあると言えるだろう。そして、必ずバランガイごとにホールがあり、そこを拠点に簡単な福祉・医療相談が行われたり、スポーツ・レクリエーションの場ともなっている。

なんでそんなものが必要なのか、端的に言えば、「統治」のためだ。1960年代から20年ほど独裁的な政権の中心にあったマルコス大統領がバランガイを整備した。地域ごとの貧富の差、少数民族の存在、数十の言語と7,000以上の島々、今年の7月には1億人を超えるまでになった人口。それらを統治するのは、日本よりも他の東南アジア諸国よりも、簡単ではない。全てを政府が管理するのは難しいから、バランガイを通して、それぞれの地域ごとに面倒見のいい住民の世話人を置いて、ある程度の権限と義務を与える。細かい問題は自分達で解決させていく方法をとったのだ。バランガイとは「帆船」という意味だそうで、住民を一体的にまとめる役割を現在も果たしている。聞けば「バランガイの議員を選ぶ選挙をやるたびに、必ず殺人事件が起こる」とも言うのだが、それも含めて結構な権限が集約している、フィリピンにとってかけがえのない政治・行政の仕組みだとも言えるだろう。

そして、ここは音楽もある。バランガイホールは、普段の昼間はスポーツや集会の場となっているが、地域ごとのフィエスタ(祭)の際などにはディスコの会場になる。この「ディスコ」、音楽をかけて、それに合わせて踊り、あるいはその周りで飲食をする日本語のディスコとそれほど意味の違いはない。そして、若者たちに聞いていくと「出会いの場」だともいう。ディスコの会場には外のバランガイからも若者が集まってくる。街から有名なDJがやってきて会場を盛り上げる宴は、夜の8時、9時ぐらいからはじまり、朝の3時、4時まで続く。酒を飲みながら若者たちが「ウェーイ」と盛り上がるわけだ。もちろん、若者ならみんながみんな行くというわけでもないようで、真面目な子は行かないとも言うし、カタい大人には「ディスコに行って不順異性交際がはじまっても」と懸念する空気もあるという。とは言え、日本のクラブカルチャー、ライブカルチャーほど、特定の「それを趣味とする人」が集まってくる何かでもなく、もっと「夏祭り」的な、より広い層が非日常を求め、羽根を伸ばすために集まる、貴重な音楽を通した娯楽となっているようだ。

「ズレ」と「一致」に何を見るのか

いくつものバランガイホールの横を通り過ぎながら、長時間移動の休憩に、と入ったコンビニでは入り口に立ったガードマンが店で流れる音楽に合わせて大声で歌っていた。それは彼が「仕事をせずに呑気に怠けている」わけではない。歌っている彼は50センチほどの銃をストラップで肩にかけ、片手でグリップを、もう一方の手で銃身をしっかりと握っている。客をしっかりと見ている。

その銃口から弾が発せられることはほとんど無いにしても、フィリピンでは銃を持ったガードマンがそこらのホテルやレストランに立っている。フィリピンは東南アジアの中でも治安と貧困は最も悪い水準にある。銃と音楽という日本における非日常が日常の中にすっと溶け込んでいる。

フィリピンの人々と音楽とをつなぐ媒体も興味深い。一番多いのはラジオだという。なぜならば、正規のCD・DVDが高いから。

日本の物価はフィリピンの数倍から10倍ほど。CDを買ったら若者の数日分の給料がとぶ。日本でいったら3万円とか5万円とかそんなイメージ。だから、ラジオが一番手軽。ラジオ番組の種類も色々あるようだ。最新のヒット曲がヘビーローテーションするようなものもあれば、古めの曲を流すものもあるという。曲には日本でいう、邦楽・洋楽の区別と同様の区別がある。邦楽は「OPM=Original Pilipino Music」と言い、洋楽は「ウェスタン」とか「アメリカン」とか呼ばれている。ただし、邦楽・洋楽の距離感は近いようにも見えた。それは彼らがフィリピン語と同様に英語も公用語として学校で教えられているくらい、英語に馴染んでいるからだ。日本みたいに多くの人が英語の細かい意味・内容を理解しないまま洋楽を聴いているわけではない。「どっちが好きなの」と聞くと「ウェスタンがカッコイイ。ラップとか新しい音楽がたくさんあるから」とか、「やっぱり、心にしみるのはOPMよね。気持ちが伝わってくる」とか意見は様々。でも、日本でもやはり邦楽がメインであるように、OPMのほうが人気があるようだ。高級住宅街店のショッピングモールのCDショップに行っても、主においてあるのはOPMだった。

ラジオ以外だと、海賊版のCDや携帯電話にダウンロードしたデータ。どちらも普通の人が買えなくはない値段で手に入る。仲間同士でそれをコピーしあってもいる。ぼくの記憶にも残っているが、かつて日本で、CDをレンタルしてきて、それをテープとかMDとかにみんなでダビングしていたみたいに。PCはまだまだ一般家庭に普及するには高いようだが、携帯電話は若者含め多くの人が持っていた。仕事上の日々の連絡や情報収集・娯楽など携帯電話が日本ではPCが担っている役割もこなしている。

あとはTVでやっている音楽番組も人気だという。訪問先の一つの盲聾学校では、目の不自由な青年がTVを見て歌の勉強をしたと教えてくれた。日本で言う「のど自慢」とか「スター誕生」とかに近い番組がやっていて、歌のうまい素人が出てくるのを審査員が聴いて講評し、デビューさせるかどうか決める。その歌と講評を聞きながら練習したという。その盲聾学校ではマッサージ同様に職業訓練として目の不自由な学生に歌を教えていて、実際に卒業生の中にはホテルなどで演奏する生バンドのミュージシャンになっている人もいる。旅の中では、そことは別な場所で、空港の待合室で歌っている目の不自由なミュージシャンにも会った。日本ならテレビとか有線が流れている場面だったかもしれない。そんな「食っていくための音楽」というのも新鮮だった。

目の不自由な青年のオリジナルソング

目の不自由な青年のオリジナルソング

あと一つ。楽器を演奏してもらった時に聞いた音楽の「トラディショナル」という概念にも驚かされた。彼らが言う「トラディショナル」とは1960年代から70年代の音楽だという。つまり、日本ならちょっと古めの演歌とかフォークとか。「越天楽今様」とか民謡・盆踊りのような日本の音楽でジャンル分けされるところの「伝統」とは違う。第二次世界大戦まで続いた数百年に渡るスペイン・米国からの植民地支配がそのような特異な状況をつくったことは想像に難くない。戦後、英語を使えて人件費が安い労働力として重宝される形で、米軍基地など世界各国に、生バンドとしてフィリピンの人々が出稼ぎに出て行った歴史も、その背景にはあるだろう。日本にも、入国のシステムの中に外国人向けの「タレントビザ」があり、これは主にそうやって音楽やダンスをするために出稼ぎに来るフィリピンの人に向けたものだった。あまり知られてはいないことだが、その点では、日本もフィリピンの「トラディショナル」とは地続きだ。

これから日本と東南アジアの「音楽と社会」のズレと一致を見続けていきたい。