シキホール島紀行 石川直樹 Ishikawa Naoki

撮影は全て石川直樹

ちょっと変わった島へ向かう

2014年9月1日、成田空港から全日空機でマニラへ飛んだ。フィリピンに行くのは、3度目になる。1回目は、ある機内誌の取材でマニラとルソン島北部へ。2度目は、再び取材でルソン島北部と初上陸のレイテ島へ。2回とも1週間以上滞在し、観光はそっちのけで奥地に入っていったので、ことのほか思い出に残っている。そして3度目の今回は、シキホール島という黒魔術で有名な少々変わった島に向かうことになった。

最初の日は、マニラの空港近くにあるフィリピン料理のレストランで夕食を食べ、そのままエアポートホテルで1泊した。

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シキホール

シキホール島は、フィリピン中部のヴィサヤ地方に位置する面積343.5㎢、人口約9万人というフィリピンで3番目に小さな州である。珊瑚礁やマングローブに囲まれた自然豊かな土地には多くの蛍が生息することでも有名で、16世紀にフィリピンに入植したスペイン人は、その蛍の多さからシキホール島を「Isla de Fuego」(火の島)と形容したとも言われている。また、島内ではキリスト教と土着の信仰が融合した「魔術」が継承されており、フィリピンの人々からは「魔術の島」として知られている。

翌9月2日、朝4時頃に起床し、国内線の空港へ向かう。シキホール島に行くためには、マニラからネグロス島のドゥマゲテという港町まで飛び、そこからさらに船に乗り継ぐのが一般的だ。

フィリピンでは冷房によって室内をキンキンに冷やすことが素晴らしいという考え方が蔓延しているらしく、それなりのホテルに入ると寒いくらいだ。ホテルの部屋に入って即座にクーラーを止めたにも関わらずまだ寒くて、初日から風邪をひきそうになった。

寒さと寝坊への危機感から、普段はまず目が覚めない4時という時間に目覚ましナシで、なんとなく目が覚めた。じっくり眠れていない証拠だろう。

寝ぼけ眼のままタクシーに乗り込み、マニラの空港からドゥマゲテに入った。まずは港に行ってシキホール島へのキップを買い、出港まで時間があったので周辺をうろついた。

海岸沿いはスラムのような掘っ建て小屋が並んでいて、さびれた商店街のようになっていた。天井の低い商店街のなかは、木漏れ日の射し込む半屋内のようになっている。小屋と小屋の間の空間では、朝からビリヤードをしている若者やカード賭博に打ち込む男たちの姿があった。港湾労働者であふれかえっていた頃の横浜などは、もしかしたらこんな雰囲気だったのかもしれないな、などと考えながら歩いた。

ライチに似た果物のリュウガンの量り売りをしている女性がいて、実に美味しそうだなと思っていたら、大友さんがリュウガンを買ってくれた。ライチと違って、皮が柔らかく、中身の果肉も適度な酸味があって美味しい。

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ドゥマゲテ港近く、海沿いの民家にて

リュウガンをかじりながら港に戻り、想像以上に小さい船に乗り込んだ。旅客船ではなく漁船といった風情で、客席は満員である。お客は、2人の白人とぼくらを除けば、みな地元のフィリピン人のようだった。檻に入れた子犬を持った人、大きな荷物を抱えた若者、その他老若男女、とにかくあらゆる人々が乗り込んでいた。

揺れを覚悟していたが、内海だからだろうか、あるいは人を満載して船が重かったからだろうか、その両方が理由なのかもしれないが、まったく揺れなかった。心地よい振動が眠りを誘い、うつらうつらしているうちに、あっという間に1時間が過ぎて、シキホール島の港に到着した。

シキホール島は、「黒魔術の島」として知られている。昔、タイの数少ない友人の一人から「フィリピンの島でナオキが絶対好きな島があるよ。シキホール島といって、ブラックマジックで有名なんだ。やばい島なんで、是非行ってみて」と言われたことがある。そのときは「ふーん」と思っただけで、この先行く機会もないだろうなあと思っていたのだが、ひょんなことから、今回の調査でシキホール島に行くことになり、あの会話のことを思い出した次第である。人生、何が起こるかわからない。

港に降り立ってまず驚いたのが、ガラスのように透き通った海だ。群れる小魚が泳ぐ姿が堤防の上からはっきりと視認できる。沖縄の離島と比べても、透明度はこちらに軍配が上がる。海岸にはヤシの木が並び、「ああ、南国に来たんだ」と実感した。おどろおどろしい島を想像し、おそるおそる足を踏み入れたシキホール島だったが、そうした暗いイメージとはかけ離れた南島の姿がそこにはあった。

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港には今回お世話になるホテル「Villa Marmarine(ヴィラ・マーマリン)」の原田さんが迎えにきてくれていた。ホテルのバンに乗りこんで、宿へ向かう。車窓から外を見た第一印象は、のどかで明るい島、ということに尽きる。でも、この明るさの裏にはもしかしたら底なしの影、すなわち黒魔術の呪いのかけ合いなんかがあるんだろうか、などと勘ぐる気持ちはまだ拭えない。

原田さんの案内で島をまわった。まずは樹齢400年という「Century Old Balete Tree(バレテの木)」を見に行く。数百の気根が垂れ下がる巨大な樹木の存在感はもとより、その根元から湧き出る水が素晴らしく美しい。ここにも小魚がいて、日本で流行りの角質を食べてくれる魚、「ドクターフィッシュ」として知られているという。たしかに裸足の足を水に浸けると魚が寄ってくるのだが、エサとしてちぎったパンをまいてしまったので、はたしてどっちに寄ってきているのかわからない。

バレテの木
バレテの木
バレテの木から湧き出る水
バレテの木から湧き出る水
バレテの木
バレテの木

南国らしいユルさと気の良さと

フィリピン最古と言われる教会の一つ「San Isidro Labrador Parish Church(サン・イシドロ教区教会)」にも行った。スペイン時代の19世紀末、1884年に建てられた教会で、世界遺産への登録も試みられたらしい。確かに堆積した時間を感じさせる、存在感のある建物だ。中に入ると、お葬式が執り行われているところだった。日本のお葬式のように黒い喪服を着ているわけではなく、普段着姿の島民がいるのみだったので、最初はお葬式などとは露も思わなかった。が、出棺する棺を見て、ようやくそれがお葬式であることに気付いた。

教会の目の前には、「San Isidro Labrador Parish Convent(サン・イシドロ教区修道院)」がある。現在は修道院としてではなく、1階が小学校、2階が博物館になっている。広い校庭を横切って、建物の中に入る。2階の博物館にはキリスト教関係の像が陳列されているのだが、ぼくはその陳列物そっちのけで、博物館入り口前の広い空間に寝そべっていた犬に心を奪われた。彼はよそ者にまったく注意を払わず、ぼくが近寄っても、お腹を出して体を右に左に振りながら、完全にリラックスしている。その犬は窓から射し込む光の中に入って暖かそうにしながら目を細めたり、木の床に体をこすりつけて遊んでいた。

一見何でもない床だが、床板の張り合わせをじっくり見ると、板が中央に向かって斜めに組み合わされているのがわかる。これは「矢はず模様」と言って、この建築物の特徴になっているという。

「おまえはその床のことを知っているのかい?」と、犬に念を送ってみたが、まったく反応がない。貴重な歴史的建造物だというのに、犬が自由に徘徊しているこのようなユルさを、以後、シキホール島のあちこちで感じることになる。

サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区教会
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院
サン・イシドロ教区修道院

夕方、小さな滝を見に行った。「Cambugahay Fall(カンブガハイの滝)」と名付けられたその場所は観光地になっていて、車を降りると、水やジュースを売る女たちが近寄ってきた。「水を持っているから大丈夫」と丁重にお断りして、長い長い階段を下り、滝を見に行くことにした。

滝のライフガードを自称する若者が上からくっついてきて、いろいろ説明してくれる。彼はアジアのどこにでもいる、勝手にガイドをして後でお金をせびる輩だろうか、と思ってしまったが、ただの気の良いあんちゃんだった。

彼と彼の仲間はTシャツを脱いで短パン一丁になると、ターザンよろしく木に結びつけたロープにぶら下がって、派手に滝に飛び込んでくれる。ぼくたちが「わー」とか「すごい」などと声をあげると、得意げに何度も何度も飛び込んでくれるのであった。それにしてもよく引き締まった体つきの若者たちである。肉体労働で備わった筋肉なのかわからないが、無駄のない身体をしていて、頼もしい。

カンブガハイの滝
カンブガハイの滝
カンブガハイの滝
カンブガハイの滝

川の次は海だ。観光客向けのビーチに行くと、白波が立ってはいたが、泳ぎたい衝動に駆られる。が、ぼくは仕事で来ている。海に飛び込みたいのをぐっとこらえて写真を撮った。美しい海の向こうには島が見える。フィリピンという多島海には、7,000という気が遠くなるほどの数の島がある。宗教も民族も入り乱れた島から島へ、カヌーに乗ってアイランドホッピングの旅をしたらきっと面白いだろう。夢のまた夢だ。

小学校で鼓笛隊の練習を見て、大学にも立ち寄った。体育館ではオカマの先生がダンスを披露してくれた。夜はホテルで、地元のバンドのライブを観賞した。バンドメンバーは中年の男性ばかりで、楽器も独特で面白い。このあたりのことは、きっと大友さんや開沼さんが詳しく書いてくれるだろう。

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「黒魔術」を体験する。

シキホール島の2日目。朝からスコールだ。この時期のシキホール島は朝方、必ず雨が降るらしい。朝9時から海の見える庭で朝食を食べた。日本との時差はたった1時間なのだが、直前まで行っていたロシアのサハリンとの2時間の時差とつい勘違いして、朝食に遅刻してしまう。

腹ごしらえをした後、大友さんや開沼さんとは別行動をして、ぼくはこの島の名を知るきっかけとなった呪術について知るべく、呪術師のもとへ向かった。ヒーラと呼ばれる黒魔術師は、島に100人ほどいるという。黒魔術師と呼ぶから不気味に感じるが、祈祷師、あるいはシャーマンという言い方に直せば、そうでもない。沖縄にもユタと呼ばれる祈祷師のような存在は何人もいるわけで、南方の島ではこうした文化はなにもめずらしいことではないが、そのことで有名になってしまうと、島自体の印象が途端におどろおどろしくなってしまうので気を付けなくてはならない。

ぼくは、シキホール島は沖縄の宮古島と似ていると思っている。沖縄本島から遠く離れた宮古島には、カンカカリヤと呼ばれる祈祷師がいて、一方で、リゾートとして知られるセブ島から離れたシキホール島にもそうした祈祷師がいる。ぼくのなかではなんだかシキホール島が、宮古島と重なるのだ。

そんなことを考えながら、ヒーラ、すなわち民間治療士のおばあさんの家に到着した。ごくごく普通の家で、室内も特に変わったところはない。家にお邪魔して、「ごめんくださーい」と声をあげると、「はいはい」という雰囲気で、ゆっくりと奥からおばあさんが現れた。

年齢は80歳を超えているという。背丈は小さく、動きはゆっくりとしていた。「何か薬のようなものを使うのですか」とぼくが尋ねると、歯磨き粉か洗剤のようなものが入っていたとおぼしき小瓶を持ってきてくれた。中にはオイル漬けにされた葉っぱが入っており、蓋を開けると、ミントのようなハッカのようないい香りがした。

オイル漬けの葉っぱをおでこに貼り付けると頭の病に効くということで、特に頭部に悪いところはないのだが、「やってあげるよ」と言われたので、顔をおばあさんの前に差し出すと、ペタッと葉っぱを額に貼り付けてくれた。

一緒におばあさんのもとを訪ねた有馬さんが施術を受けることになったので、それを見学する。有馬さんはベッドにうつぶせにされ、おばあさんがマッサージの要領で体を触っていく。体を揉むというよりは触れていくといった感じだ。「肺が悪いね」「心臓が悪いね」「骨が悪いね」などと現地のビサヤ語でつぶやきながら、体をくまなく触り、問診していく。

施術は30分程度で終わったが、おばあさんは有馬さんの悪い部分をことごとく言い当てた。有馬さんは呼吸器系統が昔から弱かったらしく、それを見事に指摘されたのである。

写真を撮っていると、今度はお母さんと小さな子どもが施術を受けにやってきた。子どもが熱を出して体調が悪いという。おばあさんは再び体を触っていく。男の子は親指を口にくわえ、最初はむずかっていたが、段々とおとなしくなっておばあさんに体を預けていった。

問診とマッサージを合わせたような作業は30分以上続いた。呪術的な要素は一切ない。おばあさんはきっと何人もの人の体に触れてきたことによって、自然と悪いところを言い当てることができるようになったのだろう。整体やマッサージの達人のように、体に触れるとわかる、という感じと似ている。それが男性ではなく、高齢のおばあさんが行うことによって、ちょっとだけ神秘的な雰囲気が加味されるものの、至極真っ当なマッサージに思えた。

施術を受ける子ども
施術を受ける子ども
施術を受ける子ども
施術を受ける子ども

次に向かったのは、魔女と呼ばれるおばあさんが行う「ボロボロ」というヒーリングをしてくれる家である。しかし、その有名なおばあさんは数年前に亡くなってしまい、今は娘が継いでいるという。当初、娘さんはおばあさんのような特別な力を持っておらず、結局ヒーリング業をあきらめたと聞いた。でも、今はなぜかヒーリングを行っているようだ。

娘さんは40歳代くらいだろうか。小さな子どもがいて、彼女の周りを子どもが遊び回っている。先ほどのおばあさんのようなオーラはないのだが、もしかしたら何かが起こるかも、という期待のもと、ボロボロを見学させてもらった。

今回も有馬さんが実験台である。しかし・・・。やってもらったボロボロはあきらかに、子どもの頃、誰もが1度はやったブクブクであった。やり方はこうだ。まず、丸石の入ったガラス瓶に水を注ぎ、そこにアルミのストローで息を吹き込む。ぶくぶくと泡を出し続けながら、すなわちガラス瓶にストローで息を吹き込み続けながら、その瓶でお客の頭から体までをゆっくりと触れていく。体の悪い部分に来ると、その瓶のなかの水が白濁するというのだが、やってもらっているのを見ていても、一向に白くならない。で、結局「健康ですね」というオチなのだけれど、これは果たしてどうなのだろう。

宿で紹介してもらったたった2人のヒーラをもって、結論めいたことを言うつもりはまったくない。この島に何年も暮らしたら、もしかしたら本当に恐ろしい黒魔術の現場に遭遇するかもしれない。が、今の段階のぼくの認識は、ごく普通の民間療法と、ちょっと変わった占いかな、というものであった。

ヒーラのおばあさん

ヒーラのおばあさん

人それぞれでいいという大らかさ

フィリピン人の多くは、このシキホール島にお化けが出るだとか、行くと悪霊が憑くだとか、ゾンビや魔女がいるとかなり本気で信じている。マニラあたりに暮らす若い女の子に「シキホール島に行く」と言うと「なんであんな島に行くの?」と真剣に止められるらしい。こうした噂話は、過去にテレビなどで喧伝されたことがきっかけで一気に広まってしまったそうだ。日本に心霊スポットを紹介するテレビ番組があるように、フィリピンにもそうした類の番組があって、シキホール島はこれまで興味本位で偏った取り上げられ方がされたのだろう。

が、それは必ずしも島外の人に誤解を与えるという負の側面ばかりではない。シキホール島の南にはミンダナオ島があり、島の北西部はイスラム過激派の拠点として知られているが、彼らもシキホール島には近づいてこない。この島に近づくと何か悪いことがあると信じているのである。「黒魔術の島」というコピーは、怪しい人を近づけないための一種の防衛策にもなっていて、だからこそ、この島に平穏が保たれているとも言ってもいい。

島には63校もの小学校があって、この規模の島にしては多すぎるほど存在する。子どもも多く、さらにこれだけ学校があるというのも、平和な印象を後押しする要素だろう。短い滞在ではあったが、ぼくは居心地の良いこの島のことがとても好きになった。

午後から近くの小学校に行き、ソーラン節を披露してもらった。それがどうこうというよりも、一人だけ合唱に参加しない男の子がぼくは気になって仕方なかった。キャップを斜めにかぶり、だぼっとしたデニムを履いている。みんなが元気に合唱する中、イスではなく机の上に座り、みなの合唱を聞いているのかいないのか、ずっとぼんやりしている。その姿を先生が見ても何も言わないのがいい。周りの子どももとやかく言うことはなく、彼はごく平然と机の上に座ってぼんやりしているのだった。

男の子
男の子
校長先生と子ども達
校長先生と子ども達

ここシキホール島ばかりでなく、フィリピン全体にあてはまることだが、この島々では、何ごとも上から強制したり押し付けたり決めつけたりしない大らかさをいつも感じる。服装も立ち居振る舞いも生き方もそれぞれで、写真家として、思わず撮らずにはいられないような人々で溢れている。独創的な生き方は、前述したバンドの楽器などにも表れていて、常軌を逸した大きさの巨大ベースや、缶からで作ったドラムセットなど、見たことのない道具にも繋がっていく。

わずか3日間のシキホール島滞在だったが、再び船でドゥマゲテへ戻ると、まるで別世界のように感じられた。ネグロス島にはデパートや雑貨店などもある。さらにマニラを抱える最大の島、ルソン島へ戻ると、その規模が一気に大きくなって、シキホール島の静けさとはかけ離れた喧噪が待っていた。

マニラの相変わらず寒いほど冷房を効かせたホテルの一室で、シキホール島のことを振り返る。民間療法やボロボロ、キャップを斜めにかぶった男の子やオカマの先生、巨大ベースや手作りドラム。底抜けに自由な彼ら彼女らと、はてさて再び出会うことがあるのだろうか。この島で自分の体が反応した軌跡は、何十枚もの写真として残った。これを手がかりに、何年後になるかわからないが、もう一度この島を訪ねてみたい。今はそう思っている。

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