アンサンブルズ・アジア・オーケストラ報告会
テーマ:多文化社会における共創と音楽

アンサンブルズ・アジア・オーケストラは技術を向上させることや、正確に演奏することが求められる通常のオーケストラとは異なり、一般市民とともに、楽器の有無、経験にかかわらず誰もが参加できるプログラムを実践してきました。音楽の経験がない、あるいはあってもその技術によらない演奏をするということは、音楽とはなにか、という根本に立ち返ることでもあり、音楽の在り方を探るさまざまな活動を展開してきました。
2017年2月に実施した報告会では、沖縄県・宮古島とベトナム・ハノイで一般市民を対象として実施したオーケストラについて、演奏を取り巻く環境、演奏が実現するプロセス、演奏される文脈等も含めて映像を交えながら紹介しました。加えて昨年12月に行ったミャンマー調査のなかから、マンダレー地方の大衆芸能、銅鑼工場などの音と映像を紹介しました。
そして報告の後に、中村美亜先生、伊藤俊治先生、大友良英さんを交えてディスカッションを行いました。

有馬|報告会の後半は大友良英さんに加えて、中村美亜先生と、伊藤俊治先生にご登壇いただきまして、ディスカッションを進めていきたいと思います。伊藤先生、中村先生よろしくお願いします。ここからは進行を中村先生にお任せしたいと思います。

中村|私は、アンサンブルズ・アジア・オーケストラの活動に関していうと、『宮古島コレクティブ』にしか参加してないのですが、大友さんの活動は神戸の『音遊びの会』や、福島の『フェスティバルFUKUSHIMA!』などを拝見し、陰ながら応援していました。
 まずは、伊藤先生にアンサンブルズ・アジアに参加した経験や感想などを聞くところから始めていこうと思います。

伊藤インドネシアのバリ島と宮古島でアンサンブルズ・アジア・オーケストラに参加させてもらった立場から、非常に貴重なこの活動に関する簡単な感想から話を始めていきたいと思います。
この活動の要は、音楽を共に創るという音楽の共創社会を共に創るという社会共創と緊密に結び付いているということなんですね。それはさきほどの活動の報告からも分かってくると思います。『音楽家なしの音楽』は、実はさまざまな可能性を持って、世界に開かれていく。
 例えば土地とか場所の特別性に、そこに外部からやって来た人間がどのように関係して関与していけるか。プロフェッショナルな存在ではない人たちの集まりが、新しい主体を形成していくことができるか。音楽を核にした共同体によって、新たな祝祭形式をつくっていけるのか。それから楽曲とか作品といった形式に縛られない遊びの延長上に、遊びって言っても悪い意味の遊びじゃなくて、広い意味での遊びの延長上に、自由な音の運動を共同で展開していくことができるのか。作り手と受け手という垣根を越えて関係をつくっていくことが、そのまま音楽になっていくことができるか。これまでの活動を拝見して、実際に宮古島やインドネシアで参加して、そういうことが可能になるのではないかという思いを抱きました。音楽というよりも、人間の生き方の問題というのか。どうやったら他者と共にうまくやっていけるのかっていうことと、繋がっている。そのことに気が付くと、人と人がデリケートに関係し合うヒントのようなものが、浮かび上がってくる。問題をランダムに挙げてしまいましたけど、今僕が挙げたことって、なかなか一筋縄ではいかないことで、一つの回答があるわけでもないし、それを乗り越えていかなくちゃいけないことでもない。でもその問いがあると、生きることが活気付くっていうか、そういうことを感じています。
 それからもう一つは、インドネシアに行ったときに、ガムランの製造工場に大友さんたちがいらっしゃったことがある。今バリ島に行くと、どこに行ってもガムランのオーケストラがたくさんありますけれど。今のガムランのオーケストラって、そんなに古くからあるわけじゃなくて、多分100年ぐらい前なんですね。1910年代ぐらい。20世紀に出来上がった新しい形式です。
 楽器は15種類ぐらいあり、一つの楽器は二つ対になっていますから、オーケストラは30人ぐらいで構成されます。基本的な楽器は、ガンサと呼ばれる青銅の鍵盤楽器です。これは2台一組で使用されていて、調律がわずかずつずらされてるから、音が空中に飛ぶとうなりを生じて、2次倍音を出し、耳で聞くんじゃなくて脳で聞いて、心地よい音を僕らが受け止めることができます。
 何を言いたいのかというと、他の楽器もみんなペアで構成されていて、ずれが基本です。そのずれの一つ一つが重なり合って、2次倍音を作っている。つまり共創(協奏)のための原型的な仕組みがガムランのオーケストラにはあるのではないかと思います。さきほど約100年前にガムラン・クビヤールというオーケストラが出来上がったと言いましたけれど、実はその背景にはバリ島の社会不安がありました。植民地主義に対抗して王族の集団自決事件があったり、疫病が大流行したり、火山が爆発したり、地震があったり。人々の不安をかき立てるような出来事が連鎖して起こっていました。
 それに呼応するかのように、今まで廃れていた古いお祭り、儀礼、そういったものが復活したり、新しいダンスが出来上がったり、音楽が生まれたり、劇が復活したり。ケチャは有名ですけど、ケチャもこの1910年代から20年代ぐらいのバリの大きい危機の時代に生まれています。つまり社会共創がどうしても必要で、音楽も歌も踊りもダンスも、その社会共創の要として生まれ変わっていったのだと考えます。
 アンサンブルズ・アジアの活動を見ると、3.11以降、大友さんが深く関わってらっしゃる福島の問題等も含めて、日本の中で、いやアジアの中で、共創の仕組みが切実に求められている社会状況があり、その中でこの活動は、群を抜いて興味深い軌跡を示しています。
中村|今、伊藤先生にご指摘いただいた社会共創と音楽から話を進めていきたいと思います。私は、芸術と社会のあり方についてずっと考えてるんですけど、もともとは音楽の研究からスタートしています。その立場から言うと、私たちがふだんよく接している音楽のレパートリーは、ガムランもそうだと思うんですけど、国民国家ができたときに形作られたものが基本になっているということがあります。
 それまでも、いろんな所にいろんな音楽があって、変化し続けていたんですが、あるとき固定化されるということが起きたんですね。それは常に西洋との対比において起きていて、西洋に対して自分をどういうふうにアイデンティファイするかとか、自分たちは何者かを定義する必然性が起きたところで、そういうことが起こっていました。
 実際、民族音楽は大切にしないといけないから、守っていこうって言われたとき、私たちはナイーブに、それは大切なものだから保護しなきゃいけないと思いがちなんだけど、それって結構、危険なところがあるんです。どういうふうに危険かというと、その人たちはそもそも自分の音楽を固定化することを望んでいたわけではなかったはずだということなんです。ところが対マジョリティーというところで、自分たちのアイデンティティーを持たざるを得なくなって、こういう音楽が私たちだと宣言するということが起きるわけです。それは実は、「あなたはこの音楽でずっといきなさい」って言われることでもあって、それは、「あなたは他の人と交わることを禁じます」と宣告されるのにも等しい。例えば日本の伝統音楽。これはもちろん守らなければいけないと私も思う反面、守り過ぎることで、そこに手を付けてはいけないものになってしまい、それが考古学的な対象というか、生きているものじゃなくて、大事にする、敬う対象になっちゃう。そうなってしまうと、私たちはそれがどれぐらい必要なものかが分からなくなってしまうと思うんですよね。
そのとき重要なのは、どう今の私たちの生活と結び付けていくかことができるかということだと思っています。その点で今回のアンサンブルズ・アジアの活動は非常に興味深いと思うんです。
 混ざり合わせるときに重要なのは「発酵」だと私は思っています。これは今、私のいる九州大学のソーシャルアートラボでやっていることなんですけど。
 どういうことかというと、まずはその地域にあるもの、文化資源でも歴史的な資源でも、地理的なものでも何でもいいんだけど、それを知るっていうこと。「よそ者」がまず知ることが必要なんですね。それをただずっと保持しようとすると、そこの中にいる人にしか分かり合えるものが生まれてこないんです。それをどうやってその地域から外に向けて発信してくかとなると、地域の外の人の視点が入って新しいものを生み出していかなきゃいけない。外の人が入ってきて中の人と新しいものをつくる。そこで協働の何かを生んでくっていうことが必要で。それは時間がかかるので、「発酵」する必要があるって言ってるんです。時間をかけて発酵させることが重要だと。そういうことって理論的には言えるけど、なかなか現実にやるのは難しい。そういう中で、アンサンブルズ・アジアはそこを何とかしようとやってるところがとてもいいな、面白いと思ってるんです。
 これまで多文化共生とか多文化主義というと、その違いを認め合う、違いを見るっていうところで止まっていたと思うんです。そこから先に行けないことを、21世紀の時代、みんなが感じ始めてるわけです。そういうことを平場から始めようっていうのが今回のアンサンブルズ・アジアの取り組みなのだと考えています。

大友|現場だと理屈から考えているわけじゃないんです。ただいろんなものにぶつかったときに、これは、ありかなしかを常に考えるんです。特に日本の人間がアジアに行くと、必ず過去の歴史と向き合わざるを得なくて、ここの地域も戦争してるんだってなると、そのことは無視できない。今現在でいえば、気を付けなければ圧倒的な経済力を持ってそこに行ってなんかやることになるわけで、そのことを考えずにやることはできないなと。今おっしゃったように、そこにもともとある芸能をもちろん知る必要があると思うんです。でも、それをそのままやるわけじゃないし、そもそも現地で一緒にやる人たちが、必ずしも伝統的な芸能をやっているわけでもない。それまでの音楽体験も、人それぞれで、この地域はこんな感じみたいにはひとくくりにできない。そうしたことを尊重しながらも、一緒にやるとなったときに、どういうことをすればいいのかを考えるところからはじめなくてはいけないなと思うんです。そうなると、結局はドアをノックするとこから始まるし、出会った人と握手する、そして互いにすこしずつでも知っていくってことから始めていくってことだと思うんです。

中村|音楽は、もともと、どういうものだったかと考えると、今回のアンサンブルズ・アジア・オーケストラは、まさに音楽の原初的な形をやっているっていうふうにも言えると思うんです。
 私たちは今、言葉を使ってしゃべっているので、言葉と音楽を対比させて考えがちなんだけど、そもそも人間が何をやろうとしたかっていうと、音を通じて何とか人とコミュニケーションしようとしていたわけです。言葉がなかったわけですから、「うー」とか「あー」とか言いながら、何とか人に伝えようとしていて。時々、ある音に対して、別の人がはっと思うことがあったり、共感することがあったりして、そういうことで人と人が結びついていったと思うんです。
 そのときの音は、空間や行動から独立したものではなくて、常にコンテクストの中で生じていました。ところがさっきも言ったように、近代の音楽っていうのは、そういうコンテクストから取り離しちゃって、これはこういうものを表しますって、記号化されたものになったんです。そういう意味で、もう一回コンテクストに戻すとか、音楽と言葉の境界を取り払うとか。音楽と美術というと、視覚と聴覚で別のものと思いがちだけど、実はそこが一体になっているとか。あと、お料理なんかもそうですけど、味覚と視覚と聴覚っていうのも、実はもうちょっと結び付いているんじゃないかとか。そういうところをもう一回リミックスする中から、人の環境をつくることが、すごく重要だと思っています。

伊藤|前半の報告会の中で田村克己先生がおっしゃった、ミャンマーではノイズであろうが、いいものは、限りなく与えるということが、頭の中で引っ掛かっています。やっぱり社会共創とか音楽協奏の重要な役割としては、共に与え合うということがあるように思うんですね。これはなかなか難しいんだけど「共与」、共に与えるとか贈与とか。贈与については有名なマルセル・モースが強調した言葉で、未開の原始社会では交換という行為は取引ではなくて、贈与という形式で行われると。現在では当たり前のように考えられている交換という経済概念は、かつては贈与の下位概念にあった。そして物と物とか、物とお金を交換することによって、そのことよりも実ははるかに重要な何かを贈って喜んでもらうということの、喜びっていうのがあったのではないかというのが、モースの贈与論の一つの視点ですね。
 こういう見返りを求めない贈与の道徳と経済は、今の社会では全く消えうせてしまったかのように見えるんだけど、実はそれが現代を動かしてんじゃないかというのが、贈与論の重要なところで、日々の生活の細やかな節目に、人が人に何かを与え合うことが重要なトリガーとして機能してる。システムがちゃんと動くためには、なんか共に与え合うっていうことがないと、なかなかうまくいかない。音の場合それは、物質ではないだけにうまく乗れるんだと思うんですよね。

大友|機能しやすいですよね。音だけだと。言語的な意味もないですから。

伊藤|与える者には何か特別な力がついてる。物の霊じゃないですけど、何か与える行為は自分たちに特別な感情をもたらすということは、共創の重要なポイントではないでしょうか。大友さんたちが、外部から来た人だけど丁寧に人に接して人と人がちゃんと与え合うという暗黙のルールを敷きながら、その中で共創の仕組みを構築してくっていうことは、なかなか大変で、あんまり見たことがなく、すごくいいなと思いました。

中村|現場ではかなり大変なことはあると思うんですね。何を大切にしているのか分からない人たちと出会って会話をするとか。音楽についても、価値観が違う人たちと出会うと思うんですけど。そのとき、どういうことが起きると考えていますか。

大友|日本の国内でやると、割と前提は共有しやすいんです。私に対しては『あまちゃん』の大友さんですね、ノイズもやりますよね、くらいの前提はあるし、私の方も、先方を見れば、ああ、こういう音楽が好きだなとか、どんな音楽経験があるかなってのは日本の中だと共有しやすい。言葉も歴史も共有してる部分が多いですから。でもアジアの国々に行くとオレ、日本から来たどっかのおっちゃんですから。しかも日本の人だと、好き嫌いとか知ってる知らないは別にして、前衛音楽があるとか、謎な音楽があるとか、ポップスがあるとかっていう前提が共有できてたりするけれど、ベトナムやミャンマーに行ったら、一部の特殊なインテリの方にしか通用しません。
 だから、まずそういう前提ではものは進められないし、それは進められないのが悪いことだとは全然思ってなくて、本当に初対面同士の手探りになるんです。だから、出会った人たちの実情にあわせてこの人とどんな音楽をやろうかって方向でまずは考えるんです。よく、音楽は言葉を超えるし、世界の共通語って言うけど、この場合は言葉が通じないのはとても不便です。とっても不便なんだけど、でも、音楽をやるときは通訳をなるべく入れないようにしたいなとも思っているんです。そこで入れちゃうと大切なものが消えちゃう気がして。言葉が通じないということでオレも困るし相手も困る。でもその困ったところから始めるのがいいかなって。そこから、見えてくるものって必ずあって。こっちが予想しないものが返ってくる、それで何かが見えてくるのをとても楽しみにしています。
 だってこっちが向こうに行ってる時点でフェアじゃないんですもん。経済力強いし。しかも、こっちは音楽のことをいろいろ知ってて上から目線でこれやれって言っちゃいかねないわけで、それはやっぱ違う気がして。相手が弱いから尊重するとかそんな上から目線なことじゃなく、まずは同じ地平にたってみるところからはじめないとと。これは『音遊びの会』という知的な障がいを持った子どもたちと一緒にやるときに学んだことなんです。彼ら彼女らとやるときは、自分がこれまでやってきた音楽のキャリアとか経験のようなものだけでは全然通用しないんです。でも、やっていくなかで少しずつ方法を見つけていく中で見えてくるものってたくさんあって、それが私にとってはとても大きな経験になりました。障がいを持った子と言葉が通じない同士というのが同じという意味じゃないんですけど、でも、互いに前提を共有してない同士がどうやって音楽を作っていくのかという意味で、自分にとっては似ている経験で、共通の文化背景を持ってない人が、辛うじてお互いに共通の文化を見つけながらコミュニケーションしてく過程で、片言の言葉とか、あと食べ物をお互い食べて、うまいって言い合うとか、そうしていく中で音楽のアンサンブルの種のようなものが芽をふきだすこともあるということだと思います。特に言葉が通じにくい場合、確かに音楽を一緒にやるということが互いを知る上でもとても有効だなって思うんです。
 言葉でこうやって言うのは簡単ですけど、実際は時間がかかるもので、そんなすぐにには互いに分からなくていいと思うんです。終わった後にみんなでご飯を食べに行くとか、そんなことの繰り返しの中から芽生えるものもあると思っていて。だから音楽の現場だけで音楽を成立させるってことではないような気がしてます。お祭りは神輿を担ぐだけがお祭りじゃなくて、神輿を作るプロセスや終わった後の乾杯もすごい重要で。そういうの全部含めて音楽を作ってくってことなのかなと。
 例えばミャンマーに行くときに、行く前からミャンマーでこんなのやりたいは、ないんですよ。今回はたまたまターソーさんと出会ったので日本には盆踊りがあるじゃないかって話が出て、そこから始まるんです。双方から出てきたアイデアで何かやっていくっていう。だから地域によって全部違う形になると思うんですよね。

中村|社会の共創に話を戻したいと思います。一般の人からすると、音楽は社会の仕組みや人間関係とはあまり関係がない。音楽と社会とは別のもので、社会は日常で、音楽は非日常的に何かをするだけだと思いがちですよね。日本なんかは、音楽、美術もそうですけど、娯楽とか趣味とか言われてしまって、なくてもいいようなものにされている。そこで起こったことは、あまり日常生活には関係ないようなものとして思われがちだと思うんですけれど、そこをもう少し考えてみたいと思います。

伊藤|音楽って参加する場だのことだと思うんです。音楽に参加した人間の、いろんな行動や言動が、他者の言動や行動と溶け合うときの心地よさっていうのかな。音楽は一つの共同体を形成する。音楽を個人で聞く人もたくさんいるだろうけど、少なくとも僕にとっては、共同性に入り込んでいくための扉のようだと理解してます。なかなかうまく言えないけど。アンサンブルズ・アジアの活動は、その場所場所で今を渡り歩くように変化してきたけど、やっぱり共同体の一つの新しい祭りというか、さっきの盆踊りじゃないですけど、そういう場の沸騰みたいなことに集約されていきそうだなって気がしています。それが大友さんの中でどういう具体的な像を描いているのかは興味ありますけどね。

大友|多分、僕がこういうことに、かなり自覚的になったのは、やっぱり震災が関係しています。それまでも一般の人と音楽を作ることはやっていたんですけども、そんなに自覚的じゃなかったと思う。震災の時に、今まで一緒にやったことない人が一緒に音楽をやる、あるいは踊るでもいいんですけど、それってどういうことかっていうと、それがコミュニティになってくんですよね。コミュニティをつくるために音楽をやるんでもなくて、音楽をやるためにコミュニティをつくるでもなく、ただ、そうなっていくっていうか。
 多分、話し合って意見を一致させてコミュニティつくるのって無理だと思うんです。意見が分かれちゃうから。どのコミュニティも、夫婦だってそうだと思うんですけど、完全に意見なんか一致してるわけがなくて、でもなんかコミュニティになってるんですよ。最小単位が夫婦かもしんなし、家族かもしれないけども、もうちょっとおっきな単位でそれがコミュニティだって認識できるためには、いろんな仕掛け必要なんだと思います。たとえば、日本の例だと昔であれば、村の祭りに参加しているというのが、その村の構成員であるという証になっていったんだと思うんです。だけれど、今はそういう形での共同体のありかたは、かなり崩れてしまってると思うんです。それは祭りが寂れていったということではなくて、そもそもそういう共同体がもう成立していないってことなんだと思います。それでも人はなんらかの共同体がなければ生きていけないし、その証のようなものを求めるもので、だとしたら今の社会のあり方の中で祭りをやるっていうのはどいいうことかってことを震災後考えざるをえなかったんです。で、わたしの結論は、祭りは自分たちでつくっていける。地縁の祭りもあれば、趣味を同じくした人たちの祭りもある。さまざまな祭りがいろいろな形であってもいいと。
 コミュニティーは、フレキシブルにいろんな所で発生してはときに消えていくというのが近代社会だと思うんです。そう考えると一つのコミュニティーだけに所属しているっていう社会は今、考えにくい。それは東南アジアも同じだと思います。そういう中で、人と人が交流してくっていうことを考えるときに、音楽を一緒に、しかもそこの地域の音楽でもない、日本の音楽でもない、出会ったことで生まれる音楽を作ってくって、交流のツールとしては悪くいなって思うようになりました。でもそれは交流を目的としてるわけでもないんです。じゃなんなのと言われると、もう音楽そのものとしか言いようがない。そうすることって、なんかすごく大きな意味で、新しい人と人との関係をつくってくやり方のような気がしてるんだけど、この部分はうまく言えないんです。ただ、こうやって生まれる音楽が面白いとしか言えない。だから伊藤先生や中村先生に、この感じを言葉にしていただければって思うんです。

伊藤|今までのコミュニティではなくコミュニティ自体が大きい移動の中にあって、われわれ自信も大きい移動の中にあって、その移動との関係の中で構築されていく場みたいなものだっていう気が、大友さんの話を聞くとすごい思います。

中村|私も震災をきっかけに考え方が変わったんですけど、その一つは、芸術表現を一緒にすることの意味や考え方です。場をつくることは、実は知覚的なコミュニケーションのネットワークをつくることだと思ったんです。場をつくるだけじゃなくて、あるものを共有して、同じように感じることができる人たちをつくっている。例えば大友さんと音楽を一緒にした体験、その音についてこういう意味があったという共有の体験、つまり、音と感覚を自分の記憶に持つということをやっている。あのときこういうふうに感じたよねというような共有体験は、その人たちが離れていっても、どっかに残っていくわけですよね。
 すごく後々まで、あのときあの人と一緒にやったということが、無意識の中に残っていく。実は、それが何年後、何十年か後に何か問題が起きたときに、「でもちょっと待て、あの人たちそんなに悪い人じゃない」って思えるようなものになっていくんじゃないかって思うんですよね。
 さっきも大友さんがおっしゃったんですけど、人と人ってそんなに分かり合えるもんじゃない。そういう点で、さっき私は、音楽で分かり合っちゃうのはリスクだって言ったんですけど、そこは逆にメリットにもなり得る。完全に分からなくても一緒に何かを表現したという経験が、知覚的な記憶というか、無意識な記憶として残る。そのことで、後々何となくこの人と分かり合うことができるっていう気持ちになれるというか。

伊藤|僕も今同じようなことを考えています。このアンサンブルズ・アジア・オーケストラが向かってるのは、人と人のコミュニケーションのために祭りがあるわけじゃなくて、人と世界のコミュニケーションのもう一つの回路がそこに現れてくるんだと思うんですよね。
 僕ら西洋近代の人間っていうのは、人と人のコミュニケーションのスキルだけすごく発達させてきていて、その閉塞性は何とかしなくちゃいけない。でもアンサンブルズ・アジア・オーケストラのコミュニケーションのシステムって、人と人よりも、人と世界がコミュニケーションすることの重要性に向かってるんじゃないかって気がしています。これまでとは違うコミュニケーションのシステムっていったものを、共創っていう概念を導入することによって、人間の大きな無意識的な動きをつくっていると思います。

中村|それはうまくいくと強度のあるものになると思っています。さきほど伊藤先生が言われた贈与の話なのですが、それは、普段私たちが日常生活している経済原理のネットワークとは別のネットワークが構築されていくことなのだと思います。私たちは食べ物を獲得して生きていかなければいけないので、当然経済は非常に重要ですが、経済的な価値観だけだと、とても息苦しいんです。それだけだと本当に生きにくいんです。そうではない価値観は、まさに贈与のネットワークにより担保されます。贈与のネットワーク、つまりアンサンブルズ・アジア・オーケストラのような相互表現のネットワークは、経済とは違うところで、これっていいよねって思える、そういう感覚の、感性のネットワークづくりなんじゃないかなと思うわけです。

大友|なるほど!まさにそんな感じなのかもしれません。今しゃべってて思ったのは、もともとじゃあなんでこんな考え方になったんだろう?と考えると、僕は即興演奏っていう、非常に一般には分かりにくい分野から入っていて、キャリアのスタートとしてそれでヨーロッパに行くわけです。ヨーロッパで1980年代、90年代ですかね。国境を越えて、即興演奏をやってる人たちがいっぱいいました。決して一般的な音楽じゃないんですけども、国とか経済の枠組みとは全然違うコミュニティを当時即興演奏家たちが国境を軽々と超えてつくっていたんです。そんな音楽家たちのあり方が本当に理想的な世界に見えていました。今考えると即興演奏という、一部の人たちがつくった限定された世界ではあるんだけど。でも、そこでは現実社会で起こってる差別とか様々な問題に対して、とてもフェアに向き合っていて、ヨーロッパ中にそうした音楽家やアーティストたちのコミュニティや交流のようなものがたくさんあるように私には見え、そのことがとても希望に満ちたもんに思えたんです。これはすごく面白いし、こういうやり方を一般の社会の中でも使えたら息苦しくないんじゃないかなって震災後に思ったんですよね。

中村|補足ですが、即興っていうと、どうしても勝手にやってる、伝統を無視してると思われがちなんですけど、そこはちょっと違うんですよね。音楽には型があって、それを学ぶのは非常に慣習的なものなんですけども。即興演奏は、そういうことを全く無視するわけじゃなくて、うまくずらしたり、組み合わせたりしながら表現をして、それがまたコミュニケーションになっていくっていうものなんです。それは文化を無視することじゃなくて、文化の上にあって初めてできるものです。要するに、人間どうしで生物学的なメカニズムがある程度共通しているっていうことが土台にあって、その上で、それぞれの人が持っている別々の音楽の文化を供給しあって、それを組み合わせるというのが、即興演奏で起きてることですよね。

大友|まさにおっしゃる通りです。全くめちゃくちゃをやってるってわけでは全然なくて、それまでに得てきた様々な方法を駆使しながら、自分たちの方法を随時見つけていくという感じなんです。ただ分かりにくい理由は、形のある作品をつくるのが音楽の完成形だっていう概念からすると、別に形のある作品を作るのではなくて、そのときやったものは、そのときで終わっちゃうっていう方法なので、そこが従来の芸術のあり方と比べてもとても分かりにくく思われるんです。でも実はすごくプリミティブな方法だし、アンサンブルをつくっていく上では、とてもフェアなやり方の一つのような気がしているんですよね。
 そもそも音楽って音色とかリズムとか、ありとあらゆる、あと見た目も含めてですけど、そういうものがいろんな角度から駆使されて生まれてくるもんだと思うんですよね。即興演奏というのは、共通言語がない同士でも、その中で共通点を見つけた、あるいはたとえ共有していなくても、なんらかのアンサンブルなりをつくっていくような、そんな作業だと思うんです。即興演奏を目指してる人とやるのではなくて、一般の人とつくる音楽のときに、それが使えるかなっていうのは一つ、今回の試みの音楽的な意味ではありますよね。

中村|でも面白いのは、型をはめずに自由に反応していいって言うと、訓練してない人でも、割と自由に反応できるんですよね。

大友|みんな大体、「音楽やろう」っていうと、「あ、私、音楽できない」なんて筋肉が萎縮しちゃうんだけど、ほぐしてあげると誰だって音は出せますからね。そこから始まってくとすごく面白くなるし。多分、人間って誰かと一緒に音を出すということがプログラムされていると思います。多分拍手が一番原始的なもんだと思うんですけど、ちっちゃい子が拍手するじゃないですか。あれ多分、音に反応にして自分も音を出すっていう。あれものすごく素朴な音楽の原型だと思うんですよね。足踏みもそうだと思うんですけど。なんかそういうもののような気がする。あんまり音楽教育ではそういうことやらないですよね。最初から型にはめちゃうから。

伊藤|宮古島の映像でさきほど出てきた「クイチャー」のことを、東松照明さんという写真家が印象深く写真集『太陽の鉛筆』の中で書いています。楽器を使わずに歌を掛け合って、円陣を組んで足を踏み鳴らしながら、空間に振動を巻き起こして、全体を巻き込んでいくようなクイチャーを見たとき、ショックを受けたってことを記してるんですね。円の中で溶け合わせて、参加者の共同の目的を探しながら、互いに意識を高め合って、やりとりして自分が生きてることを実感していく。それが重要なように僕は思っています。
 そういう場づくりの記憶が一般の人にもちゃんと通じていくっていうのかな、そういうことを確信させられました。ちょっと言葉は足りないですけれど、大友さんたちがこれまで3年やってきたセッションっていうのは、そういう場づくりの大きい実験だったと思うし、そういう志をこれからも続けていって欲しいなと思いました。

中村|ありがとうございます。やっぱり今の時代、あらためて異なる人間どうしがどうやって共生していけるか、共存していけるかっていうのはすごく重要な問いになっていると思います。
 音楽、あるいは表現活動の中で起きていることは、日常の生活が私たちの普段の思考と非常に結び付いていくってことは確かだと思います。
例えば私たちが普段こうやってしゃべったり、人とコミュニケーションすることと、小さいときにどういう遊びをしたかっていうことは関係があると言われると、納得するじゃないですか。やはり、人とどういうふうにやりとりできるのかというスキルや、人とうまく何とかやってきたという経験、特に自分が人にやらされたのではなく、自分の好きなようにやって、でも他の人とうまくいったっていう経験は、すごく重要だと思っています。
 そういう場をつくることは、実は急がば回れで、異なる者同士が共存できていく社会をつくることになるだろうと思います。このアンサンブルズ・アジア・オーケストラの活動を見たり体験する中で、それをすごく強く感じました。ぜひこういう芽生え始めているものをうまく、さっきの言葉で言うと「発酵」させていっていただけるといいかなと思います。
 では後半のディスカッションはここら辺で終えたいと思います。皆さんどうもありがとうございました。

伊藤俊治(いとう・としはる)
東京藝術大学先端芸術表現科教授。1953年生まれ。美術史、写真史、美術評論、メディア論など。写真家東松照明が沖縄と東南アジアを撮影した写真集『新編 太陽の鉛筆』(赤々舎)の編著を今福龍太とともに担当。

中村美亜(なかむら・みあ)
九州大学大学院芸術工学研究院准教授。専門は芸術社会学。個々人のエンパワメントや社会環境の変容を促す芸術実践についての研究を行っている。東京芸術大学卒業後、米国ミシガン大学(修士号取得)、ワシントン大学(セントルイス)などで音楽学や文化研究等を学ぶ。学術博士(東京芸術大学)。著書に『音楽をひらく―アート・ケア・文化のトリロジー』(水声社、2013年)など。ジェンダーやセクシュリティに関する著作も多い。東京藝術大学助教などを経て、2014年4月より現職。九州大学ソーシャルアートラボ副ラボ長。