JAMJAM日記|インドネシア編 大友良英 Otomo Yoshihide

撮影:大友良英

2015/03/20

正装に着替えて夜を待つ

バリ歴の大晦日。有馬さん、石川くん、ププットさんとともにウブドのホテルからタクシーで10分ほどのプリアタン村へ。ここはバリ舞踊やガムランでも有名な村で、ガイドのカデさんもここのいくつかのガムランのグループやワヤンと呼ばれる影絵芝居のグループに参加している。ガムランのほとんどの楽器を演奏できる彼は、グループに穴ができると呼ばれる代打のような役目もしているそうだ。

村の中心部の広場にはいくつものオゴオゴが置かれている。うろうろしていたらすぐに正装しているカデさんが僕らを見つけて声をかけてくれる。お店を教えてもらって早々、バリ・ヒンドゥーの正装を購入。上下セットで約4000円。平均月収2万円程度のバリでこの値段はかなりなものだ。はじめての僕らには着こなしが難しいけど、なぜか石川くんはまるで現地の人と見まごうばかりの似合いっぷり。オレはまったく着こなせない。なんか悔しいぞ。

そんなこんなで正装選びをしている間にも、前の通りをいくつものガムランのグループが音を出しながらパレードしている。一番大きなグループの中にカデさんを見つけて手を振る。大晦日の儀式はまだまだ序の口だ。

プリアタン村(撮影:大友良英) 服屋のおばさん (撮影:大友良英) 正装(撮影:有馬恵子 )

夕方、正装をして、藝大チームとともに車で10分ほどの伊藤先生がウブドに持ってるスペース兼ビラ「アランアラン」へ。ここで伊藤先生が信頼するガイドさんの情報を待つ。どうやら、当日にならないと、どこの村でどんな儀式が行われるのか、なかなかわからないらしい。1時間ほど待って、車で数分のナギ村へ向かう。いくつもの道路が交差するちょっとした広場のような場所にすでにものすごい人数の村人たちが集まっている。はじっこのほうには大量のガムランの楽器とそれを演奏する青年たち。中央には乾燥させたヤシの実の山がいくつもある。何が始まるんだろう。事前情報はほとんどなし。よそ者の僕等だけじゃなく、村の人たちも目をキラキラさせながらそわそわしている。

ナギ村のこども(撮影:大友良英) 女の子 (撮影:大友良英)

ヤンキー感バリバリの火祭り

陽も落ちて暗くなりかけた午後7時、拍子木を叩くような音と同時に、大爆音でガムランの演奏が突然始まる。あまりにいきなりだったのと、強烈なアタック音に思わず飛び上がって、ガムランのほうに走り出してしまった。すると伊藤先生がオレの腕をつかんで、別の方向を指差している。ガムランの反対側では、巨大な炎が上がっているではないか。さっきのヤシの実の山に火がついたのだ。あれよあれよという間に炎はあたりに広がっていく。まるでガムランの音とシンクロしてるかのように。いくつもの巨大な炎と爆音。ヤバイ、ヤバすぎる。オレはもう、あっという間にあの世にぶっ飛んでしまった感じで、村人の中に飛び込んで奇声まで発していた。まるでノイズコンサート会場にいるときのような感じだ。

撮影:大友良英

でも、本番はこれからだった。上半身裸の筋骨隆々の青年たち多数が、この炎の中に飛び込んで、奇声を発しながら燃えているヤシの実を投げあいぶつけあっている。ガムランの演奏はどんどん激しくなる。最前列にいたオレにも燃えたヤシの実が容赦なく飛んでくる。わ~~、火の中に飛び込みたい衝動を押さえるのがやっとだ。

とここまで書いて、もしかしたらある種の荘厳さみたいなものをもった神事、火祭りの儀式を思い浮かべている人もいるかもしれない。でも、全然そんな感じじゃなかった。むしろ田舎の暴走族の集会を見ているような、フェロモン全開のヤンキー感バリバリの祭りだ。なにしろ火に飛び込む青年たちはナイキの運動靴を履いている。ヤンキー感は裸の青年達だけじゃない。そこを取り囲む村の連中も異様だ。みな男性で、手にはスマートフォンやカメラを持っていて、まるで吸い寄せられるように炎のまわりを取り囲んでいる。そして、さらにそれを遠巻きにするように周囲にはたくさんの10代の少女たちが美しい正装をして、目を輝かせながらスマートフォンを掲げて男どもの写真を撮ってる。いったいこの瞬間だけで何百枚の写真や動画が撮られているんだろう。21世紀的な原始の祭り。

巨大な炎(撮影:大友良英) 青年たち(撮影:大友良英) 炎と爆音(撮影:大友良英) 火に吸い寄せられる( 撮影:大友良英) 火に吸い寄せられる( 撮影:大友良英)

原始の祭りから現代へ

真っ赤に燃えたでかいヤシの実がカメラと腕に当たって、最前列から後ろに逃げた瞬間、一瞬のトランスから冷めたオレは、ガムランとは別の場所でずっと鳴り続けている拍子木の音が気になりだして、音の出ている会場のはじのほうに行ってみた。ガムランの鳴っている場所の反対側だ。フェロモンがむせ返る青年と少女しかいない祭りの中心とは対照的に、ここには老人たちや子ども連れの家族しかいない。ここの少し高くなった場所に二本の木がつるされていて、それを老人と中年の男性が叩いている。彼らは中央の火祭りの動きを注意深く見守りながら、テンポを早めたり遅めたりしてるように見える。注意深く聴いていると、彼らの出すテンポで、ガムランの演奏も早くなったり、遅くなったりしている。火に飛び込む連中も、この音が遅くなると火から離れ、早くなると戦闘が始まる……そんな感じに見える。なるほど。拍子木の写真を撮っていたら、伊藤先生がやってきて、にやりとしながら「気づいたかな。この拍子木はクルクルといって、全体の指揮者みたいな役目をしてるんだよ」と教えてくれる。青年たちが野放しで暴れているように見えて、実はかつて青年だった大人たちが、彼らがヤンキーになれる場所を目立たないところでしっかり作っている。そういえば火の中心にも、水をかけている大人が何人かいて、ときどき仕切っている。よくできてるなあ。感心する。

クルクル(撮影:大友良英)

1時間もして火祭りが一段落すると、今度は奥の方から鬼のような姿をした巨大なオゴオゴが出てくる。さっきまで火祭りに参加していた上半身裸の青年たちはオゴオゴの担ぎ手になったり、ガムランの楽器を持って演奏に参加しながらオゴオゴのパレードが始まる。先導しているのはたいまつを持った少女たちだ。ここでも大人たちは交通整理をしたりして裏方に徹している。主人公は10代、20代のおそらくは未婚の男女たちだ。ガムランの演奏者たちも、ほとんどが10代じゃないだろうか。荒っぽいけど、勢いのある演奏。あとで教えてもらったことだけど、ガムランの楽器はどれも重い。特に両面太鼓のクンダンは見た目以上に重い。若くないと、これを持ってパレードなんてとてもできないような重さだ。

オゴオゴ(撮影:大友良英)

オゴオゴの目にはLEDライト、そしてパレードの照明もたいまつだけじゃなくレーザーをこれでもかってくらい使いまくっている。5年前とはまるっきり違うと伊藤先生が言っていたけれど、ここでは祭りは、僕らが考えているような「伝統」ではなく、現在進行形で祖先からの何かを伝えていくものなのかもしれない。途中オゴオゴが向きを変えるときに、それまでオゴオゴを担いでいた青年たちがいっせいに神輿の外に出て、それまでたいまつを持っていた少女たちがオゴオゴを担ぎだした瞬間は感動的だった。神事にこういう形で女性が参加することが過去からあったのかどうか、僕にはわからないけど、その瞬間、男女ともに、上気した、さっきの火祭りのときとは対照的な、少しリラックスした嬉しそうな表情に変わったのは最高だった。原始の祭りから、突然現代にトランスしたような瞬間……そんなことを思ったのはオレだけかな。

現代にトランス(撮影:大友良英) 現代にトランス(撮影:大友良英) 現代にトランス(撮影:大友良英)