特別寄稿
踊り、浄める島 伊藤俊治 Ito Toshiharu

撮影:石川直樹

島が踊りだし、ダイナミックな流動状態へ入ってゆく。

バリ島の新年を迎えるオゴオゴやニュピの儀礼は、サカ暦に基づき、毎年3月から4月にかけて行われる。バリでは三つの暦が進行する。太陽暦である西暦(グレゴリオ暦)、新月から新月までを一月とする太陽太陰暦のサカ暦(一年は354日から356日、二年半ごとに閏月がある)、210日を一年とするウク暦である。

サカ暦の新年であるニュピの一週間ほど前からバリ島は不穏な気配に包まれる。雨季の最終段階にあたり、雨が降り続き、あちこちの村が冠水し、車が身動きできないこともあった。雨季明けを控えた3月はまた悪霊たちがばっちょうりょうする季節とされ、熱帯性の熱病やマラリアなどの伝染病が流行しやすい。この時期は大地や自然も病み、特に強い浄化儀礼が連続的に執り行われる。

ムラスティはニュピの前にバリ島全島を挙げて行われる壮大な浄化儀礼である。大晦日であるオゴオゴの数日前からバリのすべての村の寺院から御神体や御物を海に運び、浄める行事が繰り返される。新年に向け、それ以前から浄化儀礼を長期に渡り定期的に行う村も多く、それはけがれから身を守る予防儀礼となっている。

ムラスティでは、特別な呪力を持つとされるバロンやランダの仮面を始め、村のすべての聖遺物が海へ運ばれ、浄められる。そしてこのムラスティの後に、大きな騒音や山車で悪霊を追い払い、新年の準備をする大晦日オゴオゴがあり、その翌日が外出や火の使用を禁じられる静寂日ニュピとなる。こうした巨大な浄化儀礼とともに、豪雨が繰り返された雨季が過ぎ去り、太陽が赤道の北へ向って動きだす。何か大きな自然の力が循環し始め、それと共に島もカオス状態へ入ってゆく。

大友良英さんと石川直樹さんが参加したオゴオゴの夜に行われたナギ村のサンギャン・ジャランも、このような浄化儀礼や悪魔祓いの一つである。共同体が悪霊により危険や不安にさらされた時、神と人間の関係を確保する手段として、穢れを祓い、善悪のバランスを回復するため、サンギャンは十字路や三叉路などの路上で舞われる。そうした場所は、災いをもたらす悪霊の集う場所であり、ガムランやダンス、火や水によりそれらの停滞を祓い、浄めるのだ。しかもそこではトランス(陶酔や忘我の状態)が不可欠となる。

ito_02
撮影:石川直樹

アメリカを代表する人類学者マーガレット・ミードは、当時夫だったエコロジーの提唱者でイルカの言語研究で有名なグレゴリィ・ベイトソンとの共著『バリ島人の性格』(1942年)の序文で、彼らがバリ島を初めて訪れた1936年のニュピの日を思い起こしている。

「一年に一度、バリ島は完全な静寂に浸りきり、ゴーストタウンのように通りには誰もいなくなってしまう。この島の無数の村々のすべてが新年のための静けさに入り込む。バリ島の人々にとり新年とはサイレンスのことなのだ」

ミードとベイトソンがニューギニア調査からバリ島を訪れた日がニュピだったため、彼女にはこの島の途方もない静けさが特に印象に残った。いつもは市場に行ったり、寺院に供物を捧げる人々で賑やかな通りも、その日は一人の人間も見ることができない。

ニュピはサイレンスを意味するが、それはバリ島の人々の好むラメと呼ばれる密集状態と対になるものだ。ラメとは祝祭日の村のように、さまざまな方向に行き交う人々で満ち溢れ、寺院は供物で満ち、いくつものガムラン隊がそれぞれ異なった演奏をし、踊り子たちが艶やかなパフォーマンスを繰り広げる、騒々しく、混然とし、詰まっていて、濃密な空間のことである。こうした極度の集中と騒乱に対する好みは、バリのさまざまな場所で見ることができるだろう。装飾で埋めつくされた寺院の門、多くの動植物で溢れる絵画、花や果実で塗り込められた葬儀塔、空間を隙間なく覆うガムラン……バリの人々はそうしたラメの創造に類い希な集中力を見せる。そしてその集中は、空っぽのサイレンスの前後に突如として生み出されるのだ。動から静へ、静から動へ、瞬時の移行が起こる。バリ島全体が神秘的な静けさから途方もない狂騒状態へ変わってゆくようなその情景には、見る者を陶然とさせる異様な雰囲気がある。こうした移行はトランスを伴う儀礼において、もっとも象徴的な形で見ることができるだろう。トランスとは一定のインターバルをとって現れるコンセントレーションの経験であり、熟練のひょうしゃほど深いトランスに入ることができる。そして自己の身体を媒介に神と合体するトランサーは、覚醒するまで、ありとあらゆる激しい感情と動作を繰り返す。

「トランスはバリ社会の核心であり、それなしでは彼らの生活は永遠に固定された、過酷な、硬直した状態になってしまう」(『バリ島人の性格』)。

トランスは人間の不思議な意識変容の状態である。トランスにより人々は日常的な思考の回路を外れ、ランダムで選択肢の多い回路を開き、それによって現実を超えた別の世界とのコミュニケーションを交わすことができる。しかもそれは人間と自然の背後で動いている目に見えない力への、バリの人々の信頼やリアリティに強く裏打ちされている。そのトランスの大切さを心に刻みながら、人々は新たな年を迎えることができる。

伊藤俊治(いとう・としはる)
1953年秋田県生まれ。美術史家。東京藝術大学先端芸術表現科教授。東京大学大学院修士課程修了(西洋美術史)。美術史、写真史、美術評論、メディア論などを中軸にしつつ、建築デザインから身体表現まで、19世紀~20世紀文化全般にわたって評論活動を展開。展覧会のディレクション、美術館構想、都市計画なども行う。主な著書に、『裸体の森へ』『20世紀写真史』(筑摩書房)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)、『バリ島芸術をつくった男』(平凡社)、『唐草抄』(牛若丸)などがある。