JAMJAM日記|インドネシア編 大友良英 Otomo Yoshihide

撮影:石川直樹

2014/12/10

今日は車でバニュワンギからSurabaya(スラバヤ)まで10時間かけて移動の日。車の中では開沼さんが遠藤さんにインドネシアの社会事情について、ずっとインタビューをしている。遠藤さんは交流基金きってのインドネシア通でもあるのだ。オレはそれを聞きながら、このプロジェクトのことをずっと考えていた。

まず「アマチュア」「プロ」って言い方をしていいのかどうか。このアンサンブルズ・アジア・オーケストラは、当初、子どもを中心にアマチュアのオーケストラを各地でワークショップをしながらつくっていくところから始めるつもりでいた。でもそもそも、アマチュアって括りというか、発想がなんかそぐわないなぁと、ずっと思っていたのだ。いや、もちろん専門に音楽をやってるいわゆる「プロフェッショナル」の人たちとバンドを組んだり、オーケストラをやったりするのが目的ではなく、一般の人というか、う~~ん「一般の人」って言い方もひっかかるなぁ……。いずれにしろ、音楽を専門にしてない、楽器の演奏もしたことない人たちと一緒にアンサンブルを組んで音楽をやるってことを、オレはこの十数年、いろんな場所でやってきたけど、そんなことをアジアでもできないかというのが、そもそものこのアンサンブルズ・アジア・オーケストラを立ち上げようと思った動機で、だから最初はアマチュアって言葉を使っていたんだけど、なんか、そぐわない。

map_yogyakarta_surabaya

Surabaya(スラバヤ)

東ジャワ州の州都。人口312万3914人(2012年)で、インドネシア第2の都市。中心部から南にかけてはオフィス、ホテル、ショッピング街がひらけ、商業流通の中心地。一方、市の北部にはタンジュン・ペラ港があり、内外航路の大型貨物船、国内航路の客船が接岸する岸壁やコンテナヤードを備えている他、造船所や製粉所等の工場もあり、インドネシア東部地域における経済活動の中心地となっている。
出典:在スラバヤ日本国総領事館HP

プロとアマという括りの違和感

そもそもアマチュアって何だ? 素人ってことか? 専門家ではないってこと? プロフェッショナルは確かに専門家って意味があるし、それを職業にしているって意味もあると思う。それに対してアマチュアというのは、職業にしてないとか、専門家ではないけど的な意味合いがあると思う。でも、この括り、そもそも、アジアのプロジェクトをやる前からずっと違和感があったのだ。

たとえば「ノイズ・ミュージック」。この世界ではノイズ・ミュージックで食ってる人なんてほとんどいない。みな他に職業を持っている。じゃアマチュアかって言われるとなんか違う。間違いなく専門家でもあるなと思うからだ。ノイズだけじゃない。今僕らの周りには、他の職業を持ちながらアルバムを出したり、ライブツアーをやったりしてる人たちが沢山いる。それもアマチュアなんてレベルじゃなく、しっかりいい作品をつくりながら。兼業音楽家と言ってもいいのかな。多分、こんなことが起こっているのは、音楽だけで食っていこうとすると、どうしても販売成績のよい音楽をつくらねばならず、でも世の中のニーズはそういう音楽ばっかじゃないってことなんだと思う。だからかつてのようにプロ、セミプロ、アマチュアみたいな括りで音楽家を見ても、全く現実が見えてこないってことだと思う。

インドネシアに来ても、状況は違えども同じ事を感じるのだ。村のガムランの人たちはみな他に職業を持っている。農家だったり、運転手だったり、学校の先生だったり。でもアマチュア音楽家って言い方はなんか、やっぱり違うと思うのだ。彼等は村のガムランを演奏させたら取り替えの利かない専門家でもあるわけで、その意味においては完全にプロフェッショナルでもある。でもそれで食っている専門家のプロ・ミュージシャンって意味では、当てはまらないし。多分だけど、20世紀に生まれた大量生産の音楽=「ポップス」であったり、もっとその前からある西洋音楽の世界では、はっきりとプロとか、アマとかって概念が成り立っているわけだけど、でもそれって、ものすごく近代的なというか、最近になって出来たカテゴライズでしかなくて、本来音楽をやるってことに、このプロとかアマみたいな概念は、あまり関係がなかったんじゃないかって思うのだ。
そんなこんなを考えているうちにアマチュアって言葉はやっぱ使えないって結論に、自分の中ではなってしまったのだ。これからアジアのさまざまな場所でアマチュアのオーケストラをつくるって言ってしまうと、出だしの方向を間違ってしまう。アマとかプロって言葉を使わずに、僕らがやろうとしてることをうまく定義づける言葉はないだろうか。道中皆に相談してみた。音楽家ではない開沼さんや石川さんだからこそ、何か思いついてくれるのではないか。

“アマチュア”に替わる三つの言葉

最初に開沼さんから出てきたのは「自生的な音楽」という言葉。英語だと「スポンティニアス」だ。なるほど、確かに言える。70年代初頭、ロンドンでジョン・スティーブンスら即興演奏家たちが「スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル」というのを始めているけど、まさにそんなことを考えて、当時の彼等はその名前を使ったのではないだろうか。
石川さんからは「ヴァナキュラーな音楽」という言葉が出てきた。これは初めて聞く言葉だ。「風土」とか「土着の」って意味があるそうだけど、建築の世界では、例えば西洋的な括りのプロの建築家だったり大手建築業者がつくった建物ではなく、村の人たちだったり、町の大工だったりがつくったような建物のことを「ヴァナキュラー建築」と言うそうで、石川さんによれば、僕らがやっているノイズや即興のような音楽や、あるいはここ数日見てきたバニュワンギの音楽なんかはまさにヴァナキュラーだという。この発想は、何か間違っていないような気がする。音楽の世界では、こういった音楽を指し示す言葉が残念ながらオレの知る限りはないだけで、確かに西洋的な概念で言うところの作曲家のような音楽家がつくるのではない音楽、そんなものにオレはずっと魅かれているように思う。それを民族音楽と呼ぶこともできなくもないが、それだと何か違う。ポップスって発想だけでも違う気がしている。う~~ん「ヴァナキュラー」か。そういうことなのかな? 正直この言葉が合っているかどうか、分からない。ただ今まで聞いたどの言葉よりも、腑に落ちる感じはする。

John Stevens

1940年イギリス・ロンドン生まれの即興演奏家、ドラマー。1994年没。

有馬さんからは「音楽家なしの音楽」って言葉が出てくる。これはヴァナキュラー建築のことを書いたバーナード・ルドルフスキーの名著『建築家なしの建築』から来た言葉だそうだ。なるほどなぁ。いい言い方かもしれない。こんな話をしていたら、あっと言う間にスラバヤに着いてしまった。

バニュワンギのホテルと違って、スラバヤの「マハラジャ・ホテル」はなかなか高級で素晴らしい居心地。植民地時代にシンガポールの「ラッフルズ・ホテル」と同じ建築家によって建てられたコロニアル様式の建物だそうだ。こんなところは仕事じゃなく遊びで来たいなぁ。夜はヴェンザの友人で、スラバヤでアート・ラボのようなものをやってるBenny(ベニー)さんが運営するスペース「WAFF(ワフ)」に。ここの1階にあるカフェで夕食の後、ベニーさんにスラバヤのインディペンデントな音楽事情の話を聞いたり、アート・シーンのことを尋ねたり。隣の部屋では若いアーティストたちがDIYで何か電子工作みたいなもんをつくっている。自分の住んでいる世界から隔絶した感のあったバニュワンギから、急に自分がいるのと同じような世界に戻って来た感じがする。たった一晩、ここに来ただけでで何かが分かるというものではないけれどね。

明日、石川さんは日本に戻らなければならないこともあって、ホテルのバーで乾杯。石川さんからはヴァナキュラーの概念について、開沼さんからはスポンティニアスということについていろいろと教えてもらう。

Bernard Rudofsky

1905年オーストリア・ウィーン生まれ。アメリカで活躍した建築家、エッセイスト。1988年没。