スラウェシ・バリ・ジャワ島紀行 石川直樹 Ishikawa Naoki

撮影は全て石川直樹

最古の壁画

朝、マカッサルは生ぬるい雨が降っていた。インドネシアのスラウェシ島は、ほぼ赤道直下にあり、熱帯雨林と水田に囲まれている。12月だというのにTシャツで大丈夫だし、雨が降ってもまったく寒くない。室内の冷房が効きすぎて、むしろ外よりも建物の中のほうが寒いくらいだ。
スラウェシ島の一番大きな街、マカッサルにやってきたのは、街の郊外にある「リアンリアン先史公園」を訪ねるためである。ここにイノシシのような動物や手形などを描いた壁画が存在することは以前から知られていたのだが、昨秋の英科学誌『ネイチャー』に、詳しい年代測定の結果が発表された。だいたい1万年くらい前のものだろうと言われていたリアンリアンの壁画が、実は4万年前に描かれていて、これまで世界最古とされてきたヨーロッパの洞窟壁画とほぼ同年代に作られたことが判明したのだ。

ぼくは2007年に出版した『NEW DIMENSION』という写真集の中で、世界各地にある先史時代の壁画を追っている。以来、壁画の探求はライフワークになっており、中でも今回のスラウェシでの調査結果は衝撃的だった。

リアンリアン先史公園(Taman prasejarah Leang-Leang)

公園内にある洞窟に先史時代の壁画が残る。当初5000年〜1万年前のものとされていたが、昨今の研究で4万年前のものと判明した。

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マカッサル(Makassar)

インドネシア中部、スラウェシ島南西部の港湾都市。南スラウェシ州の州都。マカッサル海峡に面し、古くから香料貿易の基地として発展。17世紀にゴワ王国の都が置かれ、のちにオランダ領になった。1971年から1999年にはウジュンパンダンと称した。
出典:デジタル大辞泉

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スラウェシ島

インドネシアのほぼ中央に位置する赤道直下に浮かぶ島。島の形は蘭に例えられることも。周辺の海の美しい珊瑚礁や多様な海洋生物を目当てにダイバーが多く訪れる島としても知られている。
人口:約1740万人
面積:約19万㎢
位置:インドネシアのほぼ中央
宗教:イスラム教徒、カトリック教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒
民族:マサッカル人、ブギス人、トラジャ人(南スラウェシ)ミナハサ人、ゴロンタロ人、サンギ・タラウド人、モンゴンドゥ人(北スラウェシ)
出典:インドネシア共和国観光省公式HP

美術の教科書の最初のページは、決まってフランスのラスコーなどで発見された壁画が紹介されている。昨今ではフランスのショーヴェ洞窟の壁画が3万2000年前のものであることがわかり、人類最古の芸術はヨーロッパに起源がある、ということは子どもでも知っている常識となった。
が、リアンリアンの壁画はそれよりもさらに古い時代に描かれたのだ。それが本当なら美術史や考古学史を塗り替える大ニュースだろう。ぼくはそれを聞いていてもたってもいられなくなり、このスラウェシ島に飛んできたのである。

マカッサルに到着した翌朝、視界がなくなるほどの大雨だったが、車でリアンリアンへと向かった。賑やかなマカッサルからさらに郊外へと車を走らせていくとあたりは田園風景へと切り替わり、さらにリアンリアンに近づくと、浸食された石灰岩のカルスト地形になって、雰囲気が一変する。田んぼの周りは石灰岩の山に取り囲まれ、幽玄な谷に迷い込んでしまったかのようだ。

リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道
リアンリアンへの道

公園の入り口で見学の申請を済ますと、ガイドとしてセーターを着た男性がやってきた。ガイドなしでの入場は禁じられており、彼の後をついて公園の中を歩いていく。鍾乳洞の内部が外に露出したような石灰岩地形は、体の内部を見ているようで気持ちのいいものではない。目的の壁画はその石灰岩の山のだいぶ高いところにあった。

やぐらのようにして階段が組まれており、登っていくと岩壁に穿たれた窪みに入れるようになっている。雨はもうやってこない。窪みの奥に向かって歩くと、人が四つん這いで入れるか入れないかの亀裂があり、その手前の天井部分に壁画があった。

最古の壁画

最古の壁画

まず目立つのは手の陰画、すなわちネガティブハンドと呼ばれるものである。ヨーロッパで発見された絵と同じく壁に手を置いて、その上から顔料を吹き付け、手の輪郭だけが残っている。隣にはイノシシのような牛のような動物も描かれており、手の陰画はそのまわりに漂うように何個もあった。

ぼくは興奮してシャッターを切り続けた。こんなにも状態の良い壁画を間近に見られるなんて滅多にない。しかし、裏返せばそれは誰にでも触れられるということでもあって、ほとんど野ざらしの壁画が今の今まで残されていたという事実のほうが奇跡なのかもしれない。ガイドのおじさんも暇そうにぼんやりしているだけで、何の注意もない。自分が間近で見ておきながら言うのもナンだが、こんなことでいいのか不安になる。

最古の壁画

最古の壁画

1本のフィルムを撮りきり、後ろを振り返ると、灰色の空と森を見下ろすことができた。自分がだいぶ高い場所に立っていることを再確認する。4万年という気が遠くなるほどの時間を隔てて、ぼくは古代の人と同じ場所に立っている。壁画を描いた彼らも、こうして雨をよけて空を眺めただろうか。漂う手の痕跡がなぜ描かれたのか、侃々諤々の議論があるが、どの論も未だに想像の域を出ない。ただ、意志を持って描かれた絵が4万年もの時に耐えて目に見える形でここにあるということ。そこにわずか37年しか生きていない自分が立ち会えたこと、そのことがただただ嬉しい。

(『暮らしの手帖』連載「みるきくあるく」第十五回より)

最古の壁画
最古の壁画
最古の壁画
最古の壁画
最古の壁画
最古の壁画

魑魅魍魎ちみもうりょうの島、バリ

今回の調査では、スラウェシ島、バリ島、ジャワ島の3島を旅した。スラウェシ島で壁画を見た後、バリ島へ入った。スラウェシもジャワも初見の島だったが、バリ島だけは2006年に行ったことがある。「クニンガン」と呼ばれる祝日の日、ウブドの町に滞在して、祭祀儀礼のフィールドワークを行った。

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Pulau Bali(バリ島)

首都ジャカルタがあるジャワ島の東側に位置し、バリ州を構成する島。バリ・ヒンドゥーが根付き、伝統文化が現在も息づく島として知られ、多くの観光客を惹き付けている。

あの時のことは今でもよく覚えている。日が暮れてから、村の集会場に人々が集まりはじめ、ガムランの音が響きはじめる。深い森に滴り落ちる雨粒のように、幾重にも音が折り重なり、頭上から降り注いでくるかのようだった。やがて、ガムランの音を背に、若く美しい女性が登場し、精密な舞踊がそこで披露された。しなやかな筋肉の動き、指先の力の入れ方、関節の曲げ方、その一つひとつは綿密に計算されていた。そんな場に居合わせて以来、バリ島は一つの憧憬として自分の心の中に強く刻まれている。おそらく、バリにリゾートのイメージを持つ人が多いのだろうが、ぼくにとってのバリは、目に見えない何かが跋扈ばっこする魑魅魍魎ちみもうりょうの島という印象である。

クニンガン
クニンガン
クニンガン
クニンガン
クニンガン
クニンガン

竹のガムラン

あれから8年が経ち、ぼくはバリを再訪することになった。もちろんアンサンブルズ・アジア・オーケストラのプロジェクトにおいて、ガムランのリサーチを欠かすことはできない。が、ぼくたちが今回体験したのは、普通のガムランではなく、「ジェゴグ」と呼ばれるめずらしいガムランだった。

ジェゴグは20世紀の初めにバリ島西部のヌガラで誕生したと言われている。一般的なガムランは青銅をはじめとする金属打楽器の音が中心だが、ジェゴグは金属を使わずに竹筒の打楽器を使用する。

ジェゴグの奏者は精悍な男性ばかりだった。彼らが庭にジェゴグのセットを並べていくと、何もなかった芝生の庭があっという間に城塞のようになっていく。空が赤く染まりはじめた頃、男たちは胸を張ってそれぞれの楽器の前に立つと一斉に楽器を叩きはじめた。どちらかと言えば繊細な震えのようなガムランだが、ジェゴグは彼方から迫ってくる何者かの足音のようだった。その重低音はいつしかぼくの中を突き抜けてはまた戻ってきて、いつしか自分自身が透明になっていく。

どちらかと言うと舞台の脇に陣取り、大きな身ぶりもなく影のように演奏するガムランだが、ジェゴグは体全体を使い、立って演奏する。奏者の体の動きや徐々に陶酔した表情さえもが演奏の一部となり、目も耳も楽団に奪われてしまった。

そこから放たれる音に、引いては寄せる波のような感覚を得るのは、演奏が二つのグループに分かれていて、常にお互いの音がぶつかりあい、高めあっているからかもしれない。ぼくは激しい押しくらまんじゅうの間に挟まったような状態で、しかし、そこには痛みどころか柔らかい何かであちこちをマッサージされているような、翻弄される喜びを感じた。

ジェゴグ

ジェゴグ

野性の舞台

想像を超える全方向からの響きにすっかり骨抜きにされ、帰りの車の中ではぐったりしてしまった。ぼくたちは車に乗ったままカーフェリーに収容され、バリ島の西端から知らぬ間に海を渡っていた。夜の闇に、ジャワ島の火山が3つ連なってぼんやりと見える。その火山のシルエットからして、何かが起こりそうなただならぬ空気を感じた。

深夜にジャワ島の東端、バニュワンギという街に到着して1泊した。翌日、音を巡る旅に出る。この街出身のアーティスト、ヴェンザ・クリストの案内で、日が暮れてからバニュワンギ郊外の小さな公民館のようなところに連れていってもらうことになった。

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Banyuwangi(バニュワンギ)

ジャワ島東端の港町。農産物などの物流拠点であり、バリ島と結ぶフェリーの連絡港でもある。

そこにはすでにガムランの楽器がセッティングしてあったのだが、今まで見てきたものとは様相が異なっていた。運動会の応援に使われるような太鼓があったり、廃車の鉄を利用したのだろうか、あきらかに手製と思われる不格好なドラムが打楽器の合間に交じっている。

観客は子どもたちが数人、おばあさんが1人、赤ちゃんを抱えたお母さんが1人いて、みんなカーペットを敷いた地べたに座っている。何の合図もなくいつのまにか演奏がはじまった。今までぼくが聞いてきた繊細な音のシャワーのようなガムランではなく、流れ落ちてくる滝壺の縁に座っているかのような音だ。
演奏中にお母さんと赤ちゃんが舞台に上がって、奏者の隣にちょこんと腰掛けた。赤ちゃんは大音量の演奏に慣れているのか、何やらはしゃいでいる。

「一体これは何なんだ」と思っていると、今度は仮面をまとった化け物や獅子舞が現れた。バリの儀礼と同じように、善と悪との終わりなき戦いを表すバロンとランダの物語のようなのだが、何かが違う。バロンのような聖獣も出てくるし、ランダのような魔女も現れるのだが、決して精緻な動きではない。いい意味で野蛮なのだ。
バロンの物語は、もともとインドの叙事詩『マハーバーラタ』を脚色して生まれた。少なくともバリでは、そのような理解のもとに、ぼくは観賞していた。が、バニュワンギのそれは、さらなる脚色が多方向から施されて、もう何が何だかわからない。

化け物が花火を口にくわえて出てきたことで室内に煙が充満した。煙越しに演者の1人がトランスに入り、場の空気が一変する。太ったおじさんが白目をむきながらトランスに入り、観客に迫ってくる。子どもたちは本気で恐がって、会場から飛び出すようにして逃げてしまった。

火を噴くバロン
火を噴くバロン
クチンガン
クチンガン
ガルーダ
ガルーダ
ブト
ブト
トランス状態(ラティ)
トランス状態(ラティ)

ヴァナキュラーな音楽

煙がおさまっていくのに比例して、演者もおとなくなっていった。恍惚、身震い、恐怖、陶酔、戦慄、頽廃……、さまざまな言葉が頭をよぎるが、どれにもあてはまるようで、あてはまらない。いま自分が見た舞台は一体何だったのだろう、と考える。

ガムランはガムランだが、バリのような美しさはなく、繊細でも精密でもなかった。その代わり、荒ぶる野性と場を変容させる呪術性のようなものに頭を殴られたような舞台だった。
こうした空間はCDやDVDに収まる類のものでもないし、民族音楽というひと言で片付けられるものではない。演奏中に小さな子どもが舞台で踊り、お母さんが奏者である夫の隣に座ってニコニコする。解説不能な化け物が現れ、おじさんがトランスに入ってしまう。マイクには雑音が入り、エコーが入っていたりする。学校の備品のような太鼓や手作りのドラムが重要な役割を果たす。あらゆることが雑といえば雑なのだが、部分が独立しながらも全体としての統制を失わず、一番底の部分でアンサンブルが成り立っていることに驚かされる。

このような場を司る音楽のことを、仮に「ヴァナキュラー音楽」と呼びたい。VERNACULARとは、風土や地域性、あるいは土地固有の建築様式などを指す英語である。ヴァナキュラー建築という言葉があるように、ヴァナキュラー音楽もまたその土地の人々自身が制作し、自分たちの身の丈に合った方法で生まれた音だと言える。

無論ジェゴグも素晴らしかったのだが、バニュワンギのガムランにぼくは心を奪われた。伝統を受け継いだり復活させたりすることは大変重要なことだが、ノスタルジアにからめとられずに、現在進行形で変化しているところがいい。
あの舞台を観られたことが、今回の旅における最大の収穫だった。